きょうは高島嘉右衛門・呑象の命日・・・紀藤元之介先生の【講座】易占・一年生・・・

◆10月16日“明治の易聖”高島嘉右衛門・呑象先生の命日です。

きょう10月16日は『明治の易聖』といわれた高島嘉右衛門〔たかしま かえもん〕・呑象〔とんしょう〕先生の命日です。


高島嘉右衛門先生は、小さな寒村の漁村であった横浜の港の基礎工事やその軟弱な地面に鉄道を敷設するための土木工事など、ミナト・ヨコハマの礎【いしずえ】を築くことに大きな貢献した事業家で易占家です。

日本で最初の北海道との定期船を運行したり、ガス事業を起したり明治の殖産興業に大きな貢献されました。易占いを用いて殖産興業のための事業や政策を占った実占家でもありました。

呑象翁の生い立ちから、仕事や事業、また明治初期の国の政策・外交・軍事などについて占った占例をまじえながら波乱万丈を人生を描いているのが、紀藤元之介先生の『易聖・高島嘉右衛門  乾坤一代男』と『易と金と事業と』という二冊の本です^L^

高島呑象翁は
天保3年11月3日【1832年12月24日】の生まれで、
大正3年【1914年】10月16日に亡くなりました。

弟の高島徳右衛門氏は、加藤大岳先生が『易占の神秘』を執筆する際に占例を教えて頂いたそうです。



◆【講座】易占・一年生 ・・・占いで一番だいじなこと・・・

ちょうど『実占研究』S54年10月号に【講座】易占・一年生(67)という紀藤先生の記事があり、たまたま高島嘉右衛門・呑象先生のことが書かれていますので、きょうはこれを紹介いたします:

【講座】易占・一年生(六十七)   紀藤元之介


  私たちのしているしごとを、人はどうよんでいるかといいますと、ウラナイ・ウラナイシャ・ハッケミ【八卦見】・ニンソウミ・テソウミ・カソウヤ【卦相屋】などとよばれ(一般の人や求占者)、一段高いところにいるつもりの人は、バイボクシャと軽侮をこめていいます。このバイボクなるもの、漢字で書くと”売卜”で、この二字を訓読みすると、ウル・ウラナイ【売る売らない?売る占い!】という奇妙なことばになります。
 これに対し、屈辱感を感じるようになってから、私たちは易占家とか実占家とかいうようになり、人によっては運命鑑定家、鑑定師、鑑定士、易学士などといって、馬鹿にするなと肩を聳やかすようにもなりました。活動的な人が増え、マスコミのそこここ(テレビや週刊誌など)に登場するようになって、(真実はともかく)一般に評価があがってきたようで、向き合うとセンセイよばわりされるようになり、一部の「先生と言はれるほどのバカでなし」と思う人以外は、いくらかいい気分にひたるようになっている。というのが実状です。

・・・(中略)・・・

【占いにとって一番だいじなこと】
〔占いにとって〕一番だいじなことを知らない人が多いのにはおどろきます。
 ウラナイアテルことの巧拙はともかく、人の運命に関わるからには、放言や出鱈目や浅薄な発言は極力慎まなければならないのに、ヒドイ人がいることを見聞します。行きずりの街頭で、占者も求占者もお互いのところも知らず名も知らず占って下さい、占いましょう、という間柄なのに、懸命に求占者の幸不幸と取り組む人もあれば、堂々とした桧舞台(テレピや週刊誌など)に登場して無責任な放言をしてはじない人もあります。番組を面白くというプロデウサーや、視聴者・読者に迎合し、幇間 【ホウカン】のようなおつとめをするのは、人気稼業で営業とあれば諒承しなければなりませんが、困ったことにふつうのタレントと違って「人さまの人生、運命に多かれ少なかれかかわり、影響を与えるカを占いというものは持っている」のです。俳優や歌手がどんなばかげたくだらないことを演じようと、悪影響はありませんが、占いにはたんげいすべからざる潜在力があるのです。無名の駈け出しの人の言より、多少人に知られてきた人の方が強く、他の分野の人であっても有名人士が占いをもって云々したりすると、一般占業者よりも影響力があります。出鱈目、放言、悪暗示は、悪影響を与えます。

 この大切なことを、慮【おもんばか】りもしない占いいじりの人が増えていることを、心ある人々は憂えています。求占者の人生に拘わることだから、慎重に・・・とは「易占・一年生」で機会あるごとに言ってきました・・・(略)


10月14日紀藤先生の命日.JPG
   ×  ×

 ところで これは占術秘伝書ではないのですが、光文社から「大予言者の秘密」という本が出た、と有馬正純氏から電話がありまして、
「高島易断三世呑象という人が推薦文を書いているけれどご存知ですか」
「先生にも少しかかわりがありますよ」
といわれ、そのうちに川崎の田口二州先生から、

 「呑象翁が桜井大路を『あなたほどの人相骨相の達人が』といったとあるが、大正三年頃に桜井氏は人相の達人として世に知られていたものでしょうか。第一銀行を停年退職后、昭和の初めに日比谷で開業してから有名になったように思っていたので事の真偽を確めるべく、貴著の『乾坤一代男』及び『易と金と事業と』を調べたが、この逸話は見当りません。高木の出典は何に処ったものか・・・広く読者のため、ご指示下さい」

 という照会を受取りました。桜井大路氏は昭和一ケタの頃から活躍しておられたけれど、大正三年といえば(呑象先生の没年)四十になるやならずのサラリーマン時代でしたでしょうし、達人になっておられたかどうか、拙著とはかかわりないことで、私もどこから出た話か知らないので、町へ出た序でに、金680円也で、高木彬光さんの其の本を購ってきてみました。

 小説家の高木さんが、小説作りの名人クラスであることは、定評がありますが、氏はそのほかに「こういう名人」「あヽいう名人」と、占術名人作りの名人(誰かの評)のようです。小説書きが本業で、研究なさっていても占いのプロではありませんから、見方に甘いところがあります。ご自分が惚れ心酔され、ご自分の識見で、あれはインチキだ、これは名人だとお思いになるのは構いませんが、他の分野での有名人でも、有名人が書いたり言ったりすると、影響を受ける人が少くありません。それが軽率な発言でも、軽信、妄信してしまう人が世の中には多いのです。「お顔に似合わず軽々しい」などというと、人相談義になりますが、このばあいは「お年に似合わず・・・」と言っておきましょう。


 小説だから何を書くのも自由ですが清三郎(嘉右衛門先生の若い頃の名)が人相を見てもらわれたのは、落語家の桂三枝にまちがえられやすい三枝ではなく、山口千枝です。又、地震と鯰の話に出てくるのは香取神宮ではなく鹿島神宮の要石(かなめいし)です。【易爺注 高木彬光氏の間違いの指摘】

 高島嘉右衛門先生は比類のない非凡な方ですが「卦を出す」神様ではありません。易占者は、神様(私はとくに「易神」とよんでいますが)と求占者のあいだに立つ中取持(なかとりもち)で、嘉右衛門先生もそのように心得ておられたようです。

 有馬さんのいわれた「三世呑象」という方は、前記の本に推薦文を書いておられますが、高木彬光さんは「これぞマコトの黒田武士」ではない、「高島ホンモノ」と「ホンモノ見つけた」としておられますが、血すじはたしかな人のようです。
 高島嘉右衛門先生に、徳右衛門というご舎弟【実弟のこと】があって、その方のお子さん(つまり、先生の甥御)が徳右衛門を襲名【しゅうめい】し、伯父の「呑象」を名乗って易をなさったようです。錦心流琵琶の宗家、永田錦心とか、墓相家(鳩の宮八幡の神主)の矢島俯仰とかいう方は、この二世呑象の講筵【こうえん】に列した、と矢島さんに直接伺ったことがありますし、五聖閣の熊崎健翁先生が高島易学会を作る時(石川雅章先生が幹事長)、二世呑象を担ぎ出すことにして云々とか 又、加藤大岳先生も口述をとりに伺ったとか、いろいろ話はおききしておりますし、横浜高島台の高島正子さんにとって、三世を名乗る弘光氏はハトコに当るようで、血縁ということは間違いないようです。正式云々はともかく「三世呑象を名乗る」という挨拶状を寄越したとは言ってわられました。高島台の高島家は、一族で易者になり、しかも嘉右衛門先生の号(呑象)を襲【おそ=継ぐ】う人が出るなど思ってもみられなかったらしく、三世呑象を名乗るを許すとか認めるとかいった間柄ではない由。

 世の中に「高島」を名乗る易者がたくさん居り(本姓が「高島」なら、どうこういえません)、「嘉右衛門」と名乗ったり、よく似た「嘉衛門」と名乗ったりする人もあり、「呑象」又は呑某を名乗る人もあることは、周知のことですが。皆さん、呑象・高島・嘉右衛門の非凡さにあやかりたいというところから出発したのかも知れないけれど、利用・悪用、心ある人の眉をひそめさせるような悪行を、平然と行った人もあったようだし、今もあるようで、それに対し高島嘉右衛門先生の血縁の方が、敢然と正義の旗を打樹てられたのなら、「よくぞ」と称讃していいと思います。

 しかし、呑象・高島嘉右衛門という方は、偉大であり、非凡であっただけに、その盛名をはずかしめないようにするのは、なかなかたいへんなことだと思います。”技”もそうですが、”心”となると、求占者に凭【もた】れかかられその信頼度に応じた高度の心術を以て接しなければならず、売れ出したら責任も加倍してくれると思わなければなりません。大学で易を講じる先生方が実占をやられないのは(生活のために危険を冒す必要がないからでありましょうが)「逃げる方がいい」という計算もあってのことです。

 私の友人のやっている柔道新聞に、不遷流(物外、拳骨和尚の創始)の豪傑、田辺又右衛門のことを連載している人がありますが、又右衛門の盛時出会った人の中に、某流宗家何代目かを名乗っている某柔術家が、おおぜい門人を取立てていたが、弱くて話にならなかったと評しているくだりがあります。柔術家の場合は、それでも宗家の名を汚し、宗家門人と喜んでいる門人たちを困らせるだけで済んだでしょうが、占者のばあいは、求占者に深い責任感を持たなければならないので、厄介至極です。

 私は最近、ほとんど隠棲【いんせい】ですが、先師たちのうち、幾人もの人が、年とってからは実占から遠ざかるようになられたことが、いくらかわかるようになってきました。若いころ、他の占者、たとえばマスコミがもてはやした霊感占師といわれる藤田小女姫とか、田中佐和とかいう美少女と同席したこともありますが、占者の心得ということになると、ぜんぜん”なっていない”ことを知っています。彼女らと較べれば我田引水のようですが、易を学ぶさい占者の心得を叩き込まれた女性易占者のほうが、よほどましだと思っています。・・・オンミョージ(陰陽師) ハツケミ(八卦見)などとよばれ、願人坊主や門付や乞食と同列視されていた時代もありますが、占者は求占者を念頭第一に置くべきだという要請を受け、自覚したときから、(身にはつづれをまとうとも)精神的に新しい世界がひらけてきました。よくアタル占い、よくアテル占者、というだけで能事畢矣【のうじ・おわれり】だった占者と一線を劃【かく】すものがあるというのは、易占には易経という拠りどころとする原典があるというほかに、これがあるのです。
 ちょっとキザですが・・・。
「子曰く、君子其の室に居りて其の言を出だす。善なるときは則ち千里の外も之に応ず。況【いわ】んや其のちかき者をや。其の室に居りて其の言を出だす。不善なるときは則ち千里の外も之に違【たご】う。況んや其のちかき者をや。言は身に出でて民に加わり、行【おこない】はちかきに発して遠きに見る。言行は君子の枢機【すうき】なり。枢機の発は栄辱【えいじょく】の主なり。言行は君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや。」【「繋辞上伝」第八章】

 もうひとつ・・・。
「子曰く、乱の生ずるところは、則ち言語以て階をなす。君密ならざるときは則ち臣を失い、臣密ならざるときは則ち身を失い、幾事【きじ】密ならざるときは則ち害成る。是を以て君子は慎密にして出ださざるなり。」【「繋辞上伝」第八章】・・・【易爺 これは易の三密です^L^密教にも三密がありますよ^L^】

 ご承知のとおり、前者は、孔子が中孚【風沢中孚䷼】六二の爻辞を、後者は、節【水沢節䷻】初六の爻辞を、詳説されたと繋辞伝上の作者が伝えてくださったもので、君子ならねど拳々服膺【けんけんふくよう】してきた良い教えです。
   ・・・以上『実占研究』S54.10号より・・・

◇この流れで、紀藤先生が亡くなる寸前まで書かれた「呑象・高島嘉右衛門の易占」から紀藤先生の易にたいする考え方を学んでいこうと考えています。

紀藤元之介先生の『易聖・高島嘉右衛門  乾坤一代男』と『易と金と事業と』

易聖・高島嘉右衛門 乾坤一代男―人と思想 - 紀藤 元之介
易聖・高島嘉右衛門 乾坤一代男―人と思想 - 紀藤 元之介

『易と金と事業と―易豪高島嘉右衛門 (1966年) 』by 紀藤 元之介
Amazon中古価格:39,500円
・・・これは高すぎますね、手がでませんね(笑)
・・・小生も持っていますが、どこかに潜んでいます。
・・・機会があれば【易爺】のブログで占例を解説いたします。
・・・二冊とも得卦は書いていますが、易占の占考については詳しく説明されていません。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント