5月20日は『ローマ字の日』・・・テレビ型言語とラジオ型言語

◆5月20日は『ローマ字の日』・・・テレビ型言語とラジオ型言語
きょう5月20日は『ローマ字の日』です。

ローマ字には「ヘボン式」と「日本式」とがあるそうです。
・ヘボン式は米人のヘボンさん、正しくはヘップバーンさん=James Curtis Hepburn=が考案したものだそうですです。

・日本式のほうは田中舘愛橘〔たなかだてあいきつ〕が考案したものです。
この田中さんの命日は昭和27年【1952年】5月21日で、日本ローマ字社がちょうど切りのよい5月20日を『ローマ字の日』と決めたそうです。アマノジャクの易爺は、あぜ5月21日じゃダメなの?と反論したくなりますが、何か理由があるのでしょう。

 日本の初代の文部大臣であった森有礼〔もりありのり〕は、日本語を捨てて英語を採用することを提案したことがあります。
 また、大東亜戦争の直後には文豪の志賀直哉が大真面目で、日本はフランス語を国語にすべきだと主張しました。
 そのほか、明治維新以降おおくの学者や識者たちが「せめて効率の悪い漢字を廃止して、日本語を仮名だけか、あるいは国際性のあるローマ字で書くようにすべきだ」という主張が大真面目で繰り返し唱えられてきました。

・・・なぜ、こんな馬鹿げた主張が繰り返されるのか、いつも小生は疑問に思うのです。

主たる理由は、日本語と欧米語の違いが明確に理解できていないことと、欧米を礼賛し日本を卑下する姿勢にあるのではないかと易爺は考えています。

 車の名前にしても、トヨタはCrownが当たって以来Cで始まる冠に近い意味を持つ外国語をつけた車、Corona Corolla Cresta  クランウンの冠=Kanmuriではダサいから→Kamriまだダサい→Camryカッコイイ!!!という感覚がある・・・日本人のなかに無意識にこういう感情というか、横文字、欧米のものはカッコイイという価値判断があるのでしょう。これが嵩じると、最後は日本の公用語が米語になりますねナンテ話になりかねません><;


◆日本語がローマ字化できない理由・・・「テレビ型言語」と「ラジオ型言語」の違い

 日本語がローマ字化できない理由として、言語学者の鈴木孝夫先生は「テレビ型言語」と「ラジオ型言語」という言葉で次のような説明されています。:

 日本語は世界でもほかに例のない視覚映像をも併用する「テレビ型の言語」である。
 だからこそ音声情報だけで成立している普通の「ラジオ型言語」の表記に適しているローマ字は、日本語では巧く機能しない
ということを言語学的に説明されています。

 日本語が「テレビ型言語」であるとは、

 私たち日本人は、話をしているときにも文字の大雑把な形が頭のどこかに隠れていて、それが必要なときには顔を覗かせ、話の理解を助けるという複雑な仕組みを使っているということ(漢字だけを使っている現代中国語でさえ、日常の話し言葉のレベルでは、あまり文字を意識する必要がないのです)

 これに対して英語やフランス語など日本語以外のほとんどの言語では、話しているときは
原則として音声の中に全ての情報が含まれている(だから「ラジオ型」なのです)ため、文字表記を意識する必要がありません。

 ・・・このことが日本では早くから文盲率がほとんどゼロなのに、先進国であるアメリカやフランスには今でも日本人の想像を超える大変な数の機能的文盲者がいる理由です。

 つまり、

・ラジオ型の言語の場合は、書いたものが読めなくても、ある程度まで何不自由なく話が出来るけれど、
・画面と音声が組み合わさって情報を伝えるテレビの仕組みを持った日本語では、ちゃんとした話が出来るためにはある程度の漢字表記の知識がないと巧くいかない。
 だから、いやでも識字率が高くならざるを得ないわけ。

 ・・・このように日本語では漢字という文字、つまり視覚刺激は、音声という聴覚刺激と頭の中ですっかり癒着した状態になっているため、漢字表記を止めて例えばローマ字だけにしようとすれば、かなりの程度まで日本語そのものをラジオ型に作り変えなくてはならなくなるのです。


 そしてなぜこのように根本的な近代日本語の仕組みが、これまで気付かれなかったのかというと、それはただ単に言語学だけでなく明治以後の日本の学問の全てが西洋のそれに学び、物事すべてを西洋人の立場や視点から眺めるという、西洋中心主義の虜となってしまったからです。西洋の事物、西洋人の考え方が最高で、それこそが人類普遍のものだと思えば、それと違うものやそれから外れた考えは、劣っていて遅れているとなるのは当然でしょう。

 言語学の場合もまさにそのとおりで、
欧米の言語学者たちは彼らがおもに研究の対象とした言語がすべて私の言うラジオ型であったため、文字というものは言語そのものにとっては本質的なものではなく、音声を書き留めるための外的で便宜的な手段に過ぎないと考えてしまったのです。それを日本の言語学者も鵜呑みにしてしまったのですよ。
  ・・・鈴木孝夫著『日本人はなぜ日本を愛せないのか』p170-p172・・・・

    ×  ×  ×

 易爺は易占をするものですから、つねに漢字には注意しています。
 たとえば、「かわ」でも「川」「河」「江」「皮」「革」では成り立ちがちがうところまで見ています。
 また、卦の形、たとえば兌☱をみて説・悦・脱・羊・毀・・・などを字を想像します。

 漢字には、音読みがあり訓読みがあります、その音・訓のために日本人は仮名を創り出したのです。
 その仮名には男手・草・女手・片かな・葦手などの歴史があり、それが現在でも文化として残っています。


◆日本の魂を売るのは誰だ?!

 「固有の言語を失うことは、その民族の魂を失うこと」

 鈴木孝夫先生はつぎのように説いておられます:

かつて「朝鮮」が日本に併合され、徐々に進む日本語教育によって朝鮮語が消滅するのではないかという危機感が朝鮮の知識階級の間に広まったとき、『朝鮮日報」(1925年5月29日)は
「固有の言葉を失えば、それは即民族の魂をうしなうことにつながることは世界の歴史に徴しても明らかである云々。」といった趣旨の激しい社説を発表しました。

 日本の敗戦によって三十六年間の植民地状態から解放され、韓国として独立を果たした後の韓国人が、日本語に対して示した憎悪といっても良いほどの嫌悪感は、ただの一度も自分たちの言語である日本語を奪われたことがないのはもちろん、奪われかけたことすらない私たち日本人には、理解しがたい激しいものがありました。ごく最近まで日本語が出来ることを自分の子どもにさえ言わなかった老人がいたほどですし、大学入試の語学科目から、日本語は韓国語と非常に近くて似ているから、知的能力の有無を測るための選抜試験には不向きであるといった、あまり科学的とは思えない理由で一時は外されもしたのです。今でも日本語起源の言葉はできるだけ韓国の固有語に置き換える動きが続いています。

 これをアメリカに負けてからは、何もかも英語で言う風潮が社会に広まって止まることを知らない日本の場合と比べるとまさに対照的ですね。

 さて、明治以後日本の知識人が日本語を捨てようと主張した例としては、すでに初代文部大臣であった森有礼と文豪の志賀直哉を挙げましたが、ぜひ加えたいもう一人は、戦前戦後を通して長く衆議院議員を勤め、「憲政の神様」とまで言われた尾崎行雄(咢堂)この人は戦後に文部大臣もっとめたのですが、日本を真の民主主義国家にするためには漢字を廃止するだけではなく、「日本語という幽霊」を退治しなければ駄目だと主張し続けたことでも有名です。(川澄哲夫編『資料日本英学史2 英語教育論争史」、大修館書店、1978年、813頁)

 こんなわけで日本では文部大臣、大文豪、そして大政治家が口を揃えて日本を発展させるためには日本語を追放しなければと主張したことになりますから、なんとも驚くほかありませんね。
私は以前首相だった故小渕恵三氏の私的懇談会が発表したいわゆる「英語第二公用語」論なども、この日本語では駄目だとする日本語放棄論の系譜につながるものだと思います。もし固有の言語を失うことが魂を失うに等しいのであれば、さしずめ日本人はあらゆる知識を手に入れるために、己の魂を悪魔に売ることをためらわなかったゲーテの作品に登場するファワスト博士のような性質をもった民族といえるのかもしれません。
   ・・・鈴木孝夫著『日本人はなぜ日本を愛せないのか』p168・・・・


 我那覇真子さんが、チャンネル桜のなかで「神話を失くした民族は滅びる」というようなことを言っていました。
 言語、神話を含む歴史はその民族の魂であり国の至宝です。





 

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