◆きょうは『憂国忌』三島由紀夫の命日・・・『五衰の人』

◆きょうは『憂国忌』三島由紀夫の命日・・・『五衰の人』
 きょう11月25日は『憂国忌』 三島由紀夫の命日です。
 朝から徳岡孝夫著『五衰の人・・・三島由紀夫私記』を読んでいました。

 小生は「五衰」といえば「樹木の五衰」を想い出しますが、
 この「五衰の人」の五衰は三島の小説『豊饒の海 第四巻』の「天人五衰」のことです。
 天人が死ぬときに現わすという五つの死相のことです。
 
 徳岡氏は、この天人五衰について、次ぎのように書いています:

 三島事件を報じる朝刊の社会面の一角に、彼が自決の日の朝、連載中の小説『天人五衰』最終回の原稿を新潮社の編集者に渡したと、原稿の写真つきで記事が出ていた。『豊饒の海』の最終巻が天人五衰という題であるのは新聞の雑誌広告で見て知ってはいたが、広告だけではピンと来なかったのだろう。重い意味を持つ新聞の記事を見て、はじめて胸元を突かれるような激しさで思い出した。


天人五衰・・・その日の夜、家に帰って『和漢朗詠集』を開くと、やはり思った通りだった。
『朗詠集』二巻本の上巻は四季だが、下巻は雑の部になっていて、無常を詠んだ秀句が多い。バンコクで三島さんに貸した大系本(岩波書店)の、沙弥〔さみ〕満誓による有名な
「世の中を なにゝたとへむ 朝ぼらけ こぎゆく舟のあとの白浪」
と同じページに、それはあった。


 生ある者は必ず滅す釈尊いまだ栴檀〔せんだん〕の煙を免かれたまはず
 楽しみ尽きて哀〔かな〕しみ来る天人もなほ五衰の日に逢へり


 釈迦でさえ、死んで栴檀の木の薪で茶毘に付されねばならなかった。天人も老いれば五つの衰弱の兆が現われる。ましてや人間に、おいてをや。『本朝文粋〔もんずい〕』からの摘句である。もっと正確には、大系本の補注に川口久雄氏が次のように解説している。


 生あるものはきっと死ぬときがやってくる、釈尊でさえも涅槃に入り、その金棺が栴檀の煙の中で火葬にせられることを免かれなかった。歓楽が尽きるとかならず哀しみがあとをついでやってくる、天上の快楽〔けらく〕を享〔う〕けた天人ですら、やがて命終〔みょうじゅう〕の時がやってきて、五衰の相をあらわすときがくるのだの意。


 また同じ校注者による頭注を見ると、天人五衰の相とは
「一は頭上の華鬘忽ち萎〔な〕え、二は天衣に塵や垢がつき、三は腋の下に汗が流れ、四は両目がまたたきをし、五は今までの住居を楽しまなくなる」
のだそうである。


 なぜ、こんな本を孤独だったバンコクの三島さんに貸したのだろう。
 「楽しませてもらいました」どころの話ではない。同じページには、これもまた有名な
「朝〔あした〕に紅顔あって世路〔せろ〕に誇れども 暮〔ゆうベ〕に白骨となって郊原に朽ちぬ」
がある。三島さんを指しているような句である。
一ページに三つ並んだ無常の名句には、胸を締めつける強さがある。
ノーベル文学賞の発表を待ちわびつつ空しく異国で時間を消していた彼の背を、ひょっとすると私は、王朝の詩句によって死の淵へと少し押したのではないか。

    ×  ×  ×

◆徳岡孝夫氏は「三島さん生涯の最も重要な対談は、評論家・古林尚氏とのものだろう」と、
「図書新聞」昭和45年12月12日、46年1月1日に掲載された記事について書かれています:

 終わりに近く、次の会話がある。

三島
 ぼくは自分をもうペトロニウスみたいなものだと思ってゐるんです。そして、大げさな話ですが、日本語を知ってゐる人間は、おれのゼネレーションでおしまひだらうと思ふんです。日本の古典のことばが体に入ってゐる人間といふのは、もうこれからは出てこないでせうね。(中略)こっちは、もう最後の人間だから、どうしやうもない。

古林
 しやうがないなんて、三島さんらしくもない弱音ですけど、まさか『豊饒の海』で終りといふわけでもないでせう。

三島
 まあ、それは終りかもしれないね。わからないですね、いまのところ。次のプランは何もないんです。もう、くたびれ果てて・・・。

古林
 まさか、あなたが、ね。(笑)(以下略)

    ×  ×  ×

 あと一週間のみを残す人の発言である。「もうすぐ死にます」という一語が喉まで出かっている。その人と何時間も語って、空気が伝わって来そうなものなのに、古林氏は笑っている。いや、古林氏だけでなく、前日の午後と当日の朝に電話で本人と話した私も、何ら切迫した空気を感じ得なかった。バルコニーの下に立って演説するのを見上げ、天皇陛下万歳を叫んだ三島さんの姿が引っ込んだ後も、なおまさか死ぬまいと考え続けた。何という鈍感さだろう。

 古林氏は、右の対談を発表するに当たり、。ペトロニウスの後にカッコして(ローマ皇帝ネロの側近で、『サチュリコン』の作者)とだけ注記している。
 ・・・
 だが、私が思うに、三島さんがここで言っているぺトロニウスとは、ポーランドの作家シェンキエビチ『クオ・ヴァディス』の登場人物としてのぺトロニウスであろう。。それも三島さんや私の世代の学生が必ず読んだ木村毅訳、新潮世界文学全集『クォ・ヴディス』(昭和三年刊)中のそれではないだろうか。

   ×  ×  ×

 ネロの宮廷の文人政治家、arbiter elegantiae(趣味の権威者)として高名だったベトロニウスは、自邸に賛沢な饗宴を催して友人たちを招く。客はみな、ぺトロニウスが最近ネロの不興を買ったが持ち前の才気でいつものように巧く切り抜けるだろうと高を括っている。だが彼らは、ぺトロニウスがかねがね死について語るのを聞いていた。聞きつつ、まさか、まだその時機では、なかろうと思っていた。ぺトロニウスの才知は、それほど滅びから遠い高みで輝いていた。
 菫の薫が立ちこめ薔薇の花綵〔はなづな〕で飾られた客間の卓上には高雅な料理が並び、金糸の網で髪を包んだ美女が給仕をする
。ペトロニウスは休浴し、調衣師を呼んで自分を「男神のやうに気高く、雄々しく」装わせて客間に入り、紫色のクッションを置いた臥榻〔ベンチ〕に横になって客に語りかける。


「親愛なる諸君!歓をつくして下さい!愕いてはいけません。老〔おい〕と、衰弱とは晩年に於ける人間の悲しむべき事実です。そこで私は自ら、よき例とよき勧告とを提供します。御承知の如くそれを便々と待ってゐる必要はない、諸君はそれに先んじて自由意志に依って自らを処置する事が出来ます。恰〔あたか〕も私が茲〔ここ〕でお目にかける如くに。
 私は歓をつくし、酒を飲み、音楽を聴き、側に美人達を眺め、そして花の冠を戴いたま
ゝ、永い眠りに人りたいと思ひます。(以下略)」

 
 そして皇帝ネロに宛てた痛烈な批判の書(居合わせた客たちが、それを聞いただけで後日ネロに罰せられるのではないかと恐れたほど激越な批判だった)を読み上げたあと、医者に金糸で腕を縛ったうえ動脈を切らせる。血は褥〔しとね〕の上に滴り始める。ペトロニウスの言葉を神託のように信じて従ってきた美しい奴隷エウニケは「旦那様、私も貴方とお別れしたくはございません」と言い、ぺトロニウスに這いより、みずから望んで動脈を切らせる。シェンキエビチは「客人達は、美しい彫像に似たとの二つの白い死骸を眺め乍ら、彼等が逝くと共に、彼等によって僅にこの世界に存在を保ってゐた物―即ち詩と美とも亦滅びた事を感じた」と、この小説を結んでいる。
 これこそ三島さんが自己をなぞらえたぺトロニウスである。彼は死の一週間前にそれを言った。美しい音楽に耳を傾けながら死んだ二人と共に滅んだ詩と美を、シェンキエビチは次のように形容している。

 
 ペトロニウスの話はどんなものにも光彩を添へる日光の如く、又は庭の草花に葉ずれの音を立てる夏の微風のやうであった。


 類似点は、私が改めて指摘するまでもないだろう。昭和元禄の日本は、古代ローマもかくやと思わせる繁栄と奢侈飽食を満喫していた。三島さんの文学は、才気と豊饒と光彩に輝いていた。だが、楽しみ尽きれば必ず哀しみが来る。天人も五衰の日に逢う。三島さんは便々と老いと衰弱の進むを待たず、「長くとも四十〔よそぢ〕にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」という兼好法師の勧めに従って、花の冠を戴いたま自由意志によって自らの生命を絶とうとした。かねがね死について語ったが、ローマ人が笑ってペトロニウスの言葉を聞き流したように誰も本気にしなかった。内は疲れ果ていたが外は雄々しく装って、彼は死に場所に臨んだ。装飾という装飾の全くない軍隊の本営という場所柄だけが、アレキサンドリア製の燭台に灯がきらめきシリア製のクッション等々が置かれたローマの客間の完全な裏返しである衆人環視のうちに彼は体制に刃向う檄を読み上げ、ペトロニウスがローマ的な死を択んだように日本式に、静かに介錯人に動脈を切らせた。彼の言葉を神託のごとく聞き、美しい肉体を持った青年が、すすんで死出の旅に同行した。三島さんに譬えるのに、シェンキエビチのぺトロニウスほど適切な人物は他にいないのではないか。


◆これから憲法改正が論議がさかんになると思いますが、この『五衰の人』は、これから我われ日本人の進むべき道を静かに考える参考になるのではないでしょうか。

 憂国の士の御冥福をお祈りいたします(合掌)



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