『昭和の易聖』加藤大岳先生の言葉② 自分の易を創ること!

今日10月25日は、私の尊敬する加藤大岳先生がなくなった日です。

先生のお話された言葉の中から、
「自分の易を持つこと」について、
新井白蛾のエピソードのお話し:

 自分の易を有つという事の苦心について、徳川時代の易学者、新井白蛾に拘はる興味深
い、そして恭敬の念を抱かすにば居られない逸話がありますので、申上げる事に致しませう。

 これは易學中興の祖と謂はれる白蛾が、自分の易を持たなければ駄目だといふことを教
へられたといふむ話:

 白蛾といふ方は、皆さんも既に御存知でありませうが、其の運命学者としての才能もさ
りながら,博覧洽識、当時の大学者でございました。易者であった許りでなく治国斉家の
道にも優れた見識を特って居られたといふことは、晩年加賀侯に招かれて、文武学校の塾
頭となり、藩の子弟の教導を委せられ、重遇を享けたといふ事実によっても,この方がな
みなみならぬ人であったといふ事がお解りにならうふ思ひます。これらの事績は、明治ニ
十三年十月一日に出た文部省編輯の、日本教育史資料といふ書物の巻の悒二に記載されてあります。
 この白蛾が、或る日東山へ桜を観に行き、夜になって家へ戻らうとし、その途すがら興
赴くままに、王陽明の「これは是れ乾坤萬有の基」といふ一節のある詩を吟じながら来る
と、其の聲を聞いてひとりの老翁が歩み寄ってきて、「今の詩に依って、あなたが易を好ま
れることを知りまして・・・」と白蛾に話し掛けました。見ると風姿のなんとなく床しい
常人と異った老人でした。
 話が合ふものですから二人共吾を忘れて易談の中にすべてを打こみ、道程にして数里、
数時間といふもの熱心に語りつづけました。
 白蛾は、相手が餘りにも博学なのでどうかして名前を知り度いと思ひ、質〔たづ〕ねたのですが
「東西南北の人素より居趾〔キョシ〕を定めず、何ぞ姓名郷貫〔キョウカン〕に及ばん」と答へて打明けて呉れませ
ん。
 そんな風に語り合ひながら、たうとう衣棚押小路の白蛾の家の前まで来てしまったので
白蛾は更に誘って易談をつづけやうとしたのですが、老翁は辞退して別れの挨拶を申しま
した。がその餞の言葉が、白蛾の肺腑を剔るやうな苦言に充ちたものなのでした。

「子(白蛾を指す)志を易に留めて専ら占筮象数の説を唱へ、以て家を成す。豪傑の士と謂
ふべし。惜むらくは未だ伊(東)仁斎、物(荻生)徂徠の範囲を脱する能はず。夫れ伊・物の
ニ家、前儒の成説を獣鼠し、前後を移易し、以て己が書と爲す。世の學者幸ひにして知ら
ざるもの多し。子・易説数篇を著し、皆二家の幅轍を踏めり。其の小なるものは預らず。
大なるものに就いて言はんに「古易断」の康煕「周易析中」に於ける、「易學類篇」の「易
學要領」に於ける、「左國易説」の毛奇齢が「春秋占筮易」に於ける、皆前人んの成説を剽窃〔ヒョウセツ〕し、以て己が見所と爲し、此の四書、子・常に研精して得る所と称す。
識者より之を見れば、穿踰〔センユ〕の盗の如し。豈一家の言を以て自ら處らんや。
子・自省せよ」と。振った餞けを與へると翁は走り去ってしまったといふことです。

 古易断とか、類篇などは、白蛾の著書ですが、さういふ風に真実を指摘されたので、
いたく愧ぢて、今迄の著書を皆放擲して自分の易を創ることに邁進したといふか話です。

 これに依っても自分の易を有つことが、如何に大事であるかといふこと、亦それが易修
練の終局の目的であるといふやうな事も、お解りになったと思ひます。
 汗牛充棟と言はれてゐる位、沢山ある易書、易説の中には、多くの妄説、謬説もあるこ
とですから、學易する者は、これを識別する目を養ひ、清新な自分の易を持たれるよう心
掛けて欲しいと思ひます。

加藤大岳著『易学大講座』1巻より

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