10/16明治の「易聖」・実業家 高島嘉右衛門の命日です。

きょうは、明治の『易聖』で実業家 高島嘉右衛門の命日です。
横浜港の発展に寄与した高島嘉右衛門吝象の亡くなった日です。

◇現在‘高島易’と‘高嶋易’とか冠して易占を業としているものは
『易聖』といわれる高島嘉右衛門呑象翁とは無関係の人たちです。
他人のフンドシで商売する輩は、信用しなほうがいいですよ。

明治2年〔1869〕には、政府の高官や外国人を受けいれるための旅館『高島屋』を創立。

明治3年〔1870年〕、伊藤博文と大隈重信に京浜間の鉄道の必要性を説き
線路の短縮のために横浜港の埋め立て、その地を『高島町』と名付ける。
さらにフランス人を招いてガス工場を建設し、ガス灯を設置し
日本最初のガス会社『横浜ガス会社』を設立しました。

明治4年〔1871年〕、横浜-函館間の定期郵便船を運行する。
さらに語学の修得を中心にした学校『藍謝堂』 通称『高島学校』を創立した。
そこで 『易経』も教えていたようです。

『愛知セメント工業株式会社』を創業し
『北海道炭鉱鉄道株式会社』や『東京市街電気鉄道株式会社』の社長に
就任し、実業の世界で貢献したひとです。

■今日は高島吝象翁を偲んで、翁の占例を揚げてみます。
易占では、ふつうタブーとされている『身命の占い』です:

ある年の新春のこと
熱海にある高島吝象翁の別荘に、南部藩の家老をしていた山本某という人が
同藩のもの数名と年賀の礼に来合わせて、礼後の座談で 
たまたま易の話になったそうです。

易のことを貶〔けな〕すものがいたので、吝象翁は
「易は宇宙間 何一つとしてわからないものはない」
と言ったところが、同座の者は口々に
「それならば裁判所には検事判事を置かずに易占家をおいて、
その正邪軽重を計らせ、政治の衝〔ショウ〕にあたる者も易占家を以てせよ」
などと易の可否得失を論じて 賛否両論していた時、
件の山本某が吝象に向かって、
「人間の生死が易によってわかるであろうか?」
と切り出すと、吝象は
「神明にして照覧せぬものはない故、必ずわかる」
と言ったので
「それでは、物はためしであるから、わたしの生死の断を願いたい。
わたしの命終は何年先か?この場で一つ御示教願う」
とつめよるに、
吝象は身命の占はせん(笑)、身命の占は取るべきではないが
と語りつつも、行きがかり上、また同座の者も座興のようなつもりで
大いにすすめたもので、しかたなく筮して澤雷隨の上爻を得ました。

(上爻)-- ――
(五爻)―― ――
(四爻)―― ――
(三爻)-- --
(二爻)-- --
(初爻)―― ――
  澤雷隨 天雷无妄

この卦は帰魂卦であり、高島流では身命の占や病気の占で帰魂卦を得ますと
魂が天に帰ると解して必死の占とみるのです。
また「上窮也」で、窮〔きわ〕まるところです。
爻辞をみると「西山に亨す」など神霊祖霊を祭祀することばがあるので、
この老人が死んだために、その亡き骸をを西の方の山に祀るのだと解し、
また上爻変じて无妄になるのは、无妄を空しい意味にとれる・・・
などを総合して このように判断をしたのです。

「君の寿命は長くても今年一杯であろう。
おそらく秋までで、来年までは保たぬ。」
さらに 翁はつづけて
「君には、子孫や係類があって、おそらく西山に祀り、墓を立てるであろう」
と言いながら、爻辞を解説したところ、山本某は
「正月から縁起でもないことを聞くものだ。
こんなにピンピンしていて、壮者をしのぐ気持ちでいる私がどうして
今年一年もたないことがあろうか!それはおそらく誤占だろう」
と一笑に付したそうです。

同坐のものたちも、吝象のことばを、単なるおどかしだろう
と聞いてその場は済んでしまったそうです。

吝象は、行きがかりとはいえ身命の占などをとり、年内に決するなどと言ったことを
悔やみながら適占しないこと祈ったのですが、そのうちに忘れるともなく忘れてしまった。

その年の十月、南部藩の家族の人から、
「過日 山本某は中風で突然倒れて療養に手を尽くしているのですが、
捗々〔はかばか〕しくないので、郷里へ帰った」
という手紙を貰って、そのことを思い出しました。
やがて死亡したという正式な通知を受取り、
嘗〔かって〕の占断が的中したことと、その占の神なる事に感じた、
ということです。

この年内に危ういといったのは、上爻で この卦の終りに当たるので、
進むところがないので、本年としたのです。
秋というのは兌も、変卦の乾もともに五行の金に属し、時にとれば秋だからです。

*蛇足ですが、「帰魂卦」というのは、
五爻を変じると外卦と内卦が同じ卦になることです。

乾爲天、坤爲地、震爲雷・・・など内卦と外卦が同じ卦のことを
断易〔五行易〕では本宮卦といいます。
五爻変じると魂が本宮に帰るから歸魂というのでしょうか。

ただ単に、内卦から外卦へ移動していた外卦が
五爻を変じて内卦に帰ったからでしょうか。
どちらにも取れそうですね(*^L^*)

参考文献 『乾坤一代男』 紀藤元之介著
       『易學大講座 第三巻』 加藤大岳著 












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