きょう10月14日は『四遍筮法』の紀藤元之介先生の命日です。・・・何も書かれていない「巻頭言」・・・

きょう10月14日は敬愛する紀藤元之介先生の命日です。

『四遍筮法』という易占いの方法を考案された先生です。
あの太い眉にメガネをかけた紀藤先生が亡くなったのは昭和56年【1981年】10月14日のことです。享年 満63歳。

10月14日紀藤先生の命日.JPG

先週ぐらいから、先生がお亡くなりになった数年間の『実占研究』の記事をよんでいます。
先日、先生の御子息・木藤謙氏からメールをいただいたこともあり、紀藤先生の筮法や易に対する考え方をもう一度ジックリ勉強しなおす意味でシーリズもののブログを書いてみようかなどと考えているところです。

ちなみに木藤氏は小生より一つ下で おなじ団塊初期の世代です。
紀藤先生が三十年間一回も休まずに自らも執筆し編集・発行されていた月刊誌『実占研究』のS56【1981】年11月号に掲載されたご会葬の折の加藤大岳先生と有馬正純先生のあいだに立っておられた写真が印象的でした。
おそらく小生と同年配だろうと思っていました。

紀藤先生は『四遍筮法』を考案されています。
四遍というは四方八方へ遍〔あまね〕く行きわたるという意味でしょう。
初心者から易の大家といわれる方まで簡単だが奥が深いという思いもあるでしょう。
また四遍は四変に通じており、元卦の内卦と外卦、之卦の内卦と外卦という四つの卦を四変で筮で立卦するという意味でしょう。

ふつうは本卦、変卦というのですが、元卦・之卦とするには紀藤先生の何か思いがあるのでしょう。
もちろん、元之介の「元之」に通ずるものです。

◆小生はあまり得意ではないのですが、久しぶりに『四遍筮法』で占ってみました。

けさ今まで亡失したことが一度もない毎朝つけているトレード・ノートが見当たらなくなり朝から家探ししていました。
いくら探しても見当たらないので、きょうは紀藤先生の命日だし、ここは先生にお縋〔すが〕りして『四遍筮法』で占ってみました:

得卦は、元卦:天雷无妄 之卦・火雷噬嗑〔からいぜいこう〕でした^L^
すぐ見つかりました。
昨日調べていた『実占研究』を数年分容れた小さな段ボール箱を開くと一番上にみえる第三十巻・昭和56年の10月号、11月号の間に挟まっていました。
おそらく紀藤先生が助けてくれたのでしょう^L^

例によって「十日の菊」で占考してみます^L^

元卦:天雷无妄 之卦:火雷噬嗑
 ䷘ ䷔

无妄〔むもう〕は”妄りにならず”といういみですから、冷静にジックリ思い返して観なさいという意味にとりました。
また、之卦の外卦の離☲は「本⇒ノート」「目・見る・明るい・現れる」ということで、ここに本があるのは解ります。
問題は下の☳震をどう見るかです。

きのう、『実占研究』のコピー終えてコピー機をしまうときに高く積んでいる本の山が崩れて、それを積みなおしたのを思い出し、おそらく そのときにバラけた『実占研究』を月別に整理して入れた箱の中にある、と判断したのです。

小生は『実占研究』を底広で背が低い☱兌のような箱と底は狭いが背の高い☳震のような箱にいれて保管しています。
問題の☳の箱にきのうコピーした『実占研究』を入れて保管しました。
・・・ということで☳の箱の上部にある『実占研究』の雑誌の間に挟まっているのを見つけました。
・・・これは紀藤先生が教えてくれたものでしょう。
・・・それと『四遍筮法』を後世にシッカリと引き継いでくださいよ!という意味かも知れません。


◆下図は紀藤元之介先生が亡くなる五か月まえの『実占研究』S56年5月号の1ページの「巻頭言」です。
・・・何も書かれていない「巻頭言」です、紀藤先生はこの時までに343回発行されてきましたが初めてのことです。『実占研究』はこの年の12月号の紀藤易特集の350回の発行で終わっています。

・・・小生は、昨日このページを初めて見てショックでした、40年も前のことですが衝撃を受けました。
・・・この何も書かれていないページに紀藤元之介先生の思いが詰まっているように思います。

10月14日紀藤先生の命日 『実占研究』の巻頭言.jpg

・・・この何も書かれていない紀藤先生の思いを考えながら、紀藤先生の『四遍筮法』について新しい気持ちで学びながらブログをUPしていくつもりですので応援してください^L^






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この記事へのコメント

木藤 謙
2020年10月15日 11:41
父の祥月命日に際し、四十年を経て貴台のような方が現れ「四遍筮法」を改めてご紹介いただけるとのこと、屹度故人も楽しみにしていることと思います。
昭和五六年は一月に、本人生まれて初めての入院、医師から余命2,3か月と宣告され、四月には桜花が好きだった本人は最後に家の近くの花を見たいということで医師の了解のもと自宅療養ということに。まさに近くの池の回りの桜が満開でした。そして五月は本人にとって一番苦しく辛い時期だったのでしょう、結果ご紹介のような巻頭言になりました。その後、小康状態が続きましたが十月に死去となった次第です。どうぞ貴台にその空白を埋めていただければと存じます。よろしくお願いします。