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zoom RSS ◆きょう11月25日は『憂国忌』です。

<<   作成日時 : 2018/11/25 11:05   >>

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◆きょう11月25日は『憂国忌』です。
「三島由紀夫には現実がよく見えていました。
 しかも、三島は論理的一貫性を守り通して逝った。それは弱者のごとく、かつ強者のごとくでありました。
 三島はわれわれの時代の病を体現しつつ、身を以てそれを乗り越えていく道をも示してくれたのです。」


 上記は西尾幹二先生の・・・三島没後三十周年記念『憂國忌』・・・と題する講演の最後の部分です。 ちょうど18年前の平成12年11月25日にお話をされたものです。三島が亡くなったのは48年前、ちょうど大阪万博の年でした。小生は就職先は決まっていましたが、卒論と必須単位の習得で忙しい毎日でした。当時のことはよく憶えています。

 西尾幹二先生は、この講演のなかで次のように話しておられます:

 70年代は歴史を二つに分ける分水嶺であったといってよいでしょう。第二次大戦よりももっと大きな割れ目であったと思います。70年代の日本に起こった新しさの特徴は、今日までずっと続いていても今では新しいとはいえません。

 それは、特徴と名づくべきものが何もなくなった特徴であり、いわゆる「状況」の消滅です。他人と世界に対する無関心の急激な広がりです。若さやロマンティシズムの目に余る喪失です。いかなる意味においても未来に対して期待を持たない、あるいは小さな期待で満足する世代の出現です。

 「しらけの世代」とはよく言ったものでした。無気力と無感動が彼らのトレードマークです。つまり、いたるところに現れたのは等質化された人間であって、価値の上下の区別がつきません。教養のある人間と、そうでない人間との区別も廃されてしまった。文学の衰退、論壇の崩壊がいわれるようになった。大学の知識人はもはや世論を動かす力をもたない。大学はただの通過儀礼の機関となり、教養主義が解体し、代わりに教育問題が立ち現れました。世界文学全集が出版されなくなった。とって代わったのはミニコミ誌、コミック誌、漫画であります。

 三島由紀夫型の行動のための思想に代わって、山本七平型の文化定義のための相対主義が、人々の知的欲求を満足させるようになりました。

 保守志向、手に負えない現状維持心理、わが身大事と長生きを最大の価値に掲げて恥じることなき自閉的弛緩、それが大国意識と重なって、この国の中で時間は停止したかのごとき微温的無風心理が全体を覆いつくしました。

 危機が見えなくなっていること、それが70年代の本当の危機であったのかもしれません。そしてその、何事も起こらない状況は90年代から世紀末へ引き継がれ、今後も果てしなくこのまま続いていきそうな気配です。

 未来は明るい人工灯にすみずみまで照らし出され、カタカタと機械音がかすかに響く中で、何も生まず、何もつくり出さず、無意味にのっペらぼうに伸びていくだけです。

 三島由紀夫はそのことに気がついて、耐えられなくなったのでしょう。私はそう理解しています。三島はすべてを見透かしていた。だからこそ自決を決意したのでした。

    ×  ×  ×

 小生は団塊初期ですが、将来のアマノジャクですから、自分では団塊の世代の意識はないです。生まれ育った家庭環境がまわりと較べて極端に古い世界であったあらかも知れません。ですから、確かに世間は西尾先生が仰言っている状況でしたが、オレは違ったナンテいう反撥心が湧いてくるのです^L^


■三島の辞世は:

『散るをいとう世にも人にもさきがけて
     散るこそ花と吹く小夜嵐』


昭和45年(1970年)11月25日AP11時ごろ、三島と『楯の会』の青年四人は、東京市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室にはいり、陸将益田兼利と雑談し、 三島は携行した日本刀、関の孫六を見せたりしていたが、 突然部下と共に襲いかかって、ロープで椅子にくくりつけ、その物音を聞いて駈けつけた自衛隊の将兵数名に、日本刀をふるって斬りつけ、追い返した。

 それから三島は、 所在の自衛隊員らを前庭に集めることを命じ、午後零時ごろから、みずからバルコニーに出て檄文をまきちらし、演説をはじめた。
「・・・・自衛隊は魂が腐ったのか。
 武士の魂はどこへいったのだ。
 自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるのか。
 生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか」


 しかし前庭に集められた約八百名の自衛隊には蛙のつらに水で、彼らはただあっけにとられ、かえって野次を飛ばす始末であった。
 十分間ばかりで三島は演説をやめた。

「今こそわれわれは、生命尊重以上の価値の所在を、諸君の目に見せてやる。天皇陛下万歳」

といいすててて、彼は総監室に戻り、制服の上衣をぬぎ、正座して、短刀を両手に持ち、気合をいれて左脇腹に突き刺した。

 隊員の森田必勝が介錯したが、三太刀〔たち〕斬りつけてうまくゆかず、苦痛のために三島は舌を噛み出した。
 別の隊員古賀正義が、代わって三島の頭部を切り落とした。

 ついで森田が割腹し、古賀がただ一刀で介錯した。

 『散るをいとう世にも人にもさきがけて
     散るこそ花と吹く小夜嵐』

 以上、山田風太郎氏の『人間臨終図鑑 上巻』からの抜粋です。
 ・・・2008年11月25日の小生のブログです・・・・



■きょうは『実占研究』昭和46年2月号に掲載された紀藤元之介先生の「三島由紀夫氏の『顔』」というエッセイを紹介いたします:
   三島由紀夫氏の『顔』   紀藤元之介


 三島由紀夫氏の壮烈な自決は、一世を驚倒せしめ、さまざまな立場のひとが、氏の作品について、氏の思想について、氏の哲学について、氏の人生観について、氏の人間性について、いろいろな角度から論じたし、現に論じつつあるが、筆者は「ここで云えることは、軽々には論じられない。ということだけです。」(一月号43頁)と書き種々の論評に耳を傾けて、なるほどと肯いたり、書かれたものを読んで、眉をひそめたりしながら、私なりにその真意を探ろうとしてきました。しかし凡庸のよく理解できるところではないので、易を立て、そして新聞や週刊誌や月刊誌に発表された氏の生前の写真や、自決直前の写真など、能うかぎりあつめてみつめ、私なりに「氏は決して狂気したのではなく、正常な、高揚された精神状線で果てられたのだ」と納得したのでした。


 自決直前の氏の左頬(カン骨は、相法上「対社会的なものが現われる部位」とされている。)に、楯と、白い腹へ突立てた日本刀が、画相になって現われている写真もあります。社会に「腹と日本刀と楯」を顕示している“相”と受け取りました。


 しかし、「週刊朝日」の12月11日号表紙にのった、中川恵司氏の画「ある作家のイメージ」という作品【下の図】は、11月10日(自決の二週間前)作とありますが、象徴的かつ暗示的なものの最たるものでしょう。(この画は、三島氏が楯の会の制服制帽を着て、挙手の敬礼をしている小さな全身像と、腹から上の無帽・裸の大きな半身像とで構成され、しかも上体には内臓と見ればみえる赤い幾つものかたまりが描かれ、首はスパリと斬られていて、三島氏の最期を事前に物語っていた・・・かのような画です。)


中川恵司の画「ある作家のイメージ」l

 筆者は、三島由紀夫氏の自決が発表された直後、
「四十五歳か。それ以前では無理だっただろうし、それ以後では怯惰の情がさぎして、出来なくなるだろう。真に時を正しくつかんだ最期だ」
と傍らの人に云ったけれど、それと同時に、氏の顔を見て、(特に眉毛のかたちなど)

「この人は、四十五歳の倍生きた人が自然死するのと同じだ。四十五歳にして円熟老成した稀れ人の感がする。」
と云った。それだけ氏の人生は充実していたと見たわけです。

 氏はひじようにすぐれだ智の人ですが、「転生」を深く信じておられただろうと思います。楠公の「七生報国」を謂った鉢巻をつけたのも、単なるデモンストレーションではなく、深く期するところがあったのでしょう。


 仏教にも道教にも、転生について説かれたものがたくさんあるでしょう。高次なそういう説は、詳しくないので措くとして、俗語の例をあげます。


 山田風太郎氏の忍法ものには、よくでできます。又、丸山明宏さんが信仰している宗教では、明宏さんが天草四郎の生まれ変りだと云っているようですが、三島由紀夫氏は当然その話をきき知っていたはずです。


 紫雲荘の橋本徹馬翁は、観音を深く信仰しておられ、どこかに書いておられたことがあったけれど「ある所の浮浪者が墓場を毎日よく清掃しつづけた上、大尽の家に生まれ変った・・・」といったような話でした。その証明は、からだのどこかに出ていたホクロ、ということだったと憶えています。


 筆者は、宿曜経を読んだことがありますが、ホクロについていろいろ書いでありました。ホクロには何か意味がありげですが、まだよくわかりません。相書ではホクロについて、種々の説がなされていますが、よく解らないし、その説をまだ全面的に信じることはできませんが、つぎのような事があります。


 むかし ある人がなくなったとき、その孫娘の一人が泣き悲しみ、「いつかいいところへ生まれてきて!」と云いながら、祖父の左手首に筆で点を描いたのだそうです。それから何十年かのち、その孫娘の叔父の家で、小学校へあがるくらいになった兄妹が、母親に「赤ン坊がほしいから産んでくれ」とせがみ、母親はやむなく兄嫁にたのんで或るところから、生後百日ほどの男の児を貰い受けたのだそうです。もちろん一番末の弟ということで入籍したのですが、その男の児の左手首に小さなホクロがあって、姪が舅の手首にホクロを描いたことを知っている母親は、「この児はおとうさんの生まれ変りだから、ぜったい粗末にしては相済まない」とこどもたちや親戚に告げ、貰い児であることをひた隠しにし、腹を痛めた児以上に可愛がってきたところ、その児(現在は四十余歳)はその児で、母親に実の子の何倍もの親孝行をし、その一家の大国柱【だいこくばしら】となり、兄姉たちに一番敬愛されています。


 これは筆者がよく知っている事実で「転生」という考えは非合理だと思いながらも、半ば以上は信じています。


 三島由紀夫氏の『豊饒の海』は、第一巻の主人公、松枝清顕。第二巻の主人公、飯沼勲。第三巻の主人公、バンコックの月光姫。最終巻の主人公、安永透に共通している肉体的特徴が、「左腋窩の三つの黒子」ということになっています。ホクロが同じところにあるのは、偶合といえば偶合にちがいありませんが、三島氏は意識的に(というより、「転生の証拠」と信じきって)ホクロを原点にして、物語りを展開したので、この長編にかぎっていえば「同じところにある同じホクロは、生まれ変りをあらわしている」となりましょう。氏は、フィクション作家としてでなく、そのつながりを信じきって書かれたにちがいありません。


 昭和四十五年に、四十五歳の人といえば、インテリであろうが無かろうが このよううなことを一笑に附す人が多いでしょう。けれども、あの人相から、その倍の九十歳の人とすれば、(大正十四年から逆算すると、明治十三年ということになります。)それこそ多年の人生体験があるので、この世の真の相(すがた)を見ることができたのかもしれません。氏は、老いさらばえたモーロクジジイでなく、透徹した悟境に入った人の顔をしている、と私は受け取ったのです。


 三島由紀夫氏の自決のあと、佐藤首相と中曽根防衛庁長官は、「狂気」と云ったと報道されましたが、私などもとっさには、「気が狂ったのか」と思いました。しかし多くの人に向って口外しませんでしたし、国の責任ある地位にいる人と違って、一野人ですから責められることもなかったけれど、両大臣はだいぶ叩かれました。政治というものは現実的で世俗的はものですから、其の衝に当っている者が、とくにすぐれた“哲人宰相”や見識高邁な“思想家長官”でないのも当然で、したがってあの発言も無理からぬものがありましょう。筆者はさきに「狂気したのではなく、正常な、高揚された精神状態で果てられた、と納得した」と書きましたが、それを得た「易卦」に教えられてで、直後には、悪い意味の狂気をかんじたのは事実です。・・・現代の文学者や哲学者は、一般と違った用語法を使い、「狂気」という語も別の「常識を遙かに超えた気概」をも狂気と呼ぶので、その意味の狂気と、二大臣が感じ、私なども感じた狂気とはちがいますので、この点誤解なきよう。


 ところが、三島氏の『輪廻転生』ですが、四巻にわたる長篇小説のさいごの主人公、安永透は、松枝清顕の生まれ変わり飯沼勲や、飯沼勲の生まれ変りである月光姫とは、縁もゆかりもない、ただ同じところに同じようなホクロをもつ別人、といったふうに受け取れるような描きき方になっています。本人は何にもしらずに、本多老人に招じられ、その座に坐らされただけですから、天一坊ではありませんが、偽せ者のように思わせるところがあります。本多老人かひとり合点、という終末になっているようで、とすれば三島氏は「輪廻転生」をさいごには否定したようにも受け取れます。果してそうでしょうか。


 筆者は、松波清顕の友人で三回の転生を見てきた本多老人を、自決せずに生きつづけたら三島氏がなるであろう(と、ご本人が考えた)姿だと見ましたが、かれ(本多老)は安永透が所定の期に死ななかったこと、奈良・月修寺の門跡の「その松枝清顕さんといふ方は、どういふお人やした?」という答えに、本多は呆然と目を瞠いたとあるけれど、転生否定になりきったとは思えません。つまり、三島由紀夫氏は、そう思わせるように書きながらも、やはり、「輪廻転生」を信じきってこと切れたと思うのです。
 それは、自衛隊バルコニーで叫んでいたあの“顔”が物語っていました。



◆48年前のあの日は鬱陶しい雨模様の寒い空でした。

 日本の国の状況はあのころよりも雲はあつくなり暗雲垂れ込め、いまにも雷雨になりそうな気配ですが、無邪気な子供たちは賑やかに遊びに夢中になっているという感じでしょうか。
 それとも頭の中では、口では心配しているが、どう行動したらいいのか判らないという状況ではないでしょうか。

 「内憂外患」まさに外も内もますます悪い状況になっています。

 易の世界では正・不正よりも中・不中のバランスを優先します。日本人には国際的な中・不中をみるバランス感覚が必要だと思います。でないと律儀でルールを守る正義感のつよい民族性は常に悪用されるおそれがあります。現在すでに悪用されているのではないでしょうか。過去の歴史についても中共・北朝鮮・韓国だけでなく、隙をみせると浸け込んでくるのが国際社会です。いまこそ国を守るという決死の覚悟をするときです。ナンテ易ジジィがいうのも変ですが(笑)


 三島由紀夫氏のご冥福をお祈りいたします。

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