10月14日きょうは紀藤元之介先生の命日 「花にねて よしや・・」

◆10月14日きょうは紀藤元之介先生の命日です。
 四遍筮法という易占いの方法を考案された先生です。
あの太い眉にメガネをかけた紀藤先生が亡くなったのは昭和56年【1981年】10月14日のことです。享年 満63歳。


 お名前の「元之介」は、四遍筮法でえた最初の卦を「元卦」、二番目の卦を「之卦」とよんだところから名付けられたのでしょうか。
 紀藤というのは、本名の木藤に由るものです。
・・・“紀元書房”と紀藤先生は、もちろん非常に深い関係ですが、名前について直接的な関係はないようです。


 むかし・・・といっても太平洋戦争が始まる以前のことですから七十年以上もまえのことです・・・「『東の易の鬼』は紀藤氏、『西の易の鬼』は村田氏」と今東光先生が仰ったそうです。

 その『東の易の鬼』といわれた紀藤先生が関西に引越をされ、当初は春日大社で神職につかれ、易の講義をされていたそうです。
 その後、『西の易の鬼』の村田佳穂先生の後任として日本易学協会大阪支部長になり、関西の易の発展に貢献されました。


◆きょうは紀藤先生を偲んで、先生が御学友といっしょに秋の吉野山に詣でたときの随筆を紹介したします。ちょうど50年前の昭和43年10月秋、先生が50歳のころのことです。

   ×  ×  ×
 後醍醐天皇 御製

 花にねて よしや吉野の吉水の
    枕の元に石走しる音

【蛇足】石走しる〔いわばしる〕
 吉野山へ登った。
 わずか二時間ぐらいで行ける近距離にあるため、なかなかその機会が無かったのであるが、十月中旬のこのうえない好天に恵まれ、同行二人、近鉄特急の客になった。
 東方の老学徒が、「喜寿を迎えたこの機会に、今生の思い出にいまひとたび吉野へ登ってみたいと思い、旅立ってきた」と云われたので、お伴したのである。「五十年前には、あの六田(むた)の渡しを舟で渡り、山の宿に一泊した」というような懐旧談を承わりながら、中千本で昼餉〔ひるげ〕をしたためた。山の名産「松茸」の水炊きは、清澄な空気のせいもあってか、ひとしお旨かった。それに久し振りの昼酒、陶然として、如意輪堂への道を辿る。吉野杉の化石かと思われる崖に沿ってすこし下ったが、老学徒の足もとがおぼつかないので、途中から引返して吉水院へゆくことにする。ふたむかしほど前、
宗信法印の後裔だという某医博に、南朝時代の茶碗というのを頂戴したことがあったが(今は無い)吉水院へおまいり(現在は神社)し、後醍醐天皇の御物など拝観する。義経や弁慶や正成などの所用の品というものも展示されていた。
 吉野は桜。「万朶の桜か襟の色・・・」という軍歌も思い出したが、同時に義経と静のロマンス、南朝悲史を思うと、よくぞこのような奥山に、と新たな感慨がわく。御足弱であらせられたであろうに、と後醍醐天皇の御製を偲んだ。前に春日大社元権宮司の森口先生から、「吉野離宮」という御著書を頂戴したことがあったが・・・などと思い出しながら、蔵王堂に向う。
 木造建造物としては、大仏殿に次ぐ結構といわれる蔵王堂の、組み立ての雄大さに目をみはる。丸木の柱の多くは神代杉のようであるが、その杉に負け
ない太さのツツジの柱には、全くおどろくほかなかった。

 帰りの車中、賑やかな小学生の一群といっしょになった。高田市の小学生の遠足である。四年生の男の子と女の子が南側に陣取って、賑やかにおしゃべりしている。男の子の一人が、手帳に何か書いている。間もなく茶目ツ気たっぷりの一人が、その手帳をもって女の子の前に立ち、早口で読みあげる。
「奥田さん・・・」「・・・さん・・・」と女の子の名を読み込んでの狂句らしい。女の子は揃って五七五と指を折りながらキャッキャッとさわぐ。「いもくって・・・」「いつも・・・」と、よくわからないが、ほんとうにたのしそうだった。

 山は、ウルシだけ真赤だったが、モミジはまだ一分ほどだった。
 ・・・『実占研究』17S43.11号より・・・

  ×  ×  ×

 先生が同行した喜寿を迎えた東方の老学徒とはどなたのことでしょうか?・・・このことが気になって調べてみたのですが、『実占研究』『易学研究』には載っていないようで諦めました><;


◆この随想記の翌月の『実占研究』の表見返しには、紀藤先生の「遠視・近視」というエッセイが載っています:
 遠視・近視
       (紀藤生)

 こちらの視力如何にもよるし、対物にもよるが、ものによっては、近くから見るより、遠くから見るほうが、よく見えることがある。これは「空間的」
なもののばあいだけでなく、「時間的」なものにも当てはまる。時が接近、切迫してきたらよくわかりそうなものなのに、却って判らなくなってしまった
例がある。・・・アメリカの大統領選挙の勝敗がその顕著だものの一つである。

 早くから「ニクソンの圧勝」と見られていたが、民主党の現大統領のハンフリーへのテコ入れ(ベトナム北爆停止声明もその一つらしい)から捲き返しがはじまり、ギャラップは接戦と云いだしたし、ハリスは逆転と報じはじめた。

 「ハンフリーが勝つか、ニクソンが勝つか」
 昭和43年【1968年】11月1日夜、私も易占で試みてみた。

◇ハンフリーが勝つか

元 之
卦 卦
☴ ☳
☳ ☵
益 解

◇ニクソンが勝つか

元 之
卦 卦
☷ ☴
☶ ☰
謙 小畜

 この卦を見て、私もマイツタ。ハンフリーがよさそうでもあるしニクソンが勝ちそうでもあろ。元卦を現状とすれば、勝敗は之卦に示されていると見てよい。が、

☳ ☴
☵ ☰
解 小畜

ハの解は、坤☷中の離☲(解)
二の小畜は乾☰中の離☲(小畜)

【上図のように】、抱かれている離が接近している。解は二三四爻、小畜は三四五爻で、一段ちがうだけである。
 解と小畜ではどっちが強いか?
 ニ陽四陰卦と一陰五陽卦。
 内外共に陽卦と、陽卦が陰卦に制せられている卦と。・・・はてはそれぞれの綜卦も較べてみた。蹇と履である。与三郎ではないが「電子計算機【易爺お釈迦様でも、AI】でも判るめえ」ある。そこで一法を案じた。

◇ハンフリー




上から三爻・・雷水解
五から二爻・・水火既済
四から初爻・・火水未済

◇ニクソン


小畜

上から三爻・・風火家人
五から二爻・・火沢睽
四から初爻・・沢天夬

・序盤のニクソンの夬は強い。
・中盤は体勢整った既済のほうにブがありそう。
・しかし終盤は表裏の卦ある。解は内暗、家人は内明である【易爺※】。

 やっぱりニクソンか・・・水曜講習日に皆この見方を披露した。ところが、開票日、コンピューターも処置なしとなったという大接戦だったから、原始的予見機械操縦者もひやひやしどおしだった。

   ×  × 

 ところで、自民党総裁選である。第一党の総裁即首相だから、国民の一人として無関心でいられない。
佐藤氏に師の姤、三木氏に比の小過、前尾氏に師の革、藤山氏も出馬するなら謙の益と出たが、ふしぎに皆元卦は一陽五陰卦、さて?

①佐藤氏:
☷ ☰
☵ ☴
佐藤氏の変爻は、三爻から上爻までは陽変する。

②三木氏:
☵ ☳
☷ ☶
三木氏の変爻は、三爻から五爻の艮☶が兌☱になる。

③前尾氏:
☷ ☱
☵ ☲
前尾氏の変爻は、初爻から五爻まで全部変わる。

④藤山氏:
☷ ☴
☶ ☳
藤山氏の変爻は、初爻、三爻、五爻、上爻と乱動である。

 このように比べてみると、佐藤氏の卦が一番スッキリしている。当確ということになるかどうかはともかく「明確」である。この順番はどおりだろう。
いずれにしてもあと三週間・・・。


【易爺※】
ハ ニ
☳ ☴
☵ ☰
解 小畜

解は、☲離の明りを外の坤☷の陰暗で包む卦
小畜は☲離の明りを外の乾☰の陽明で包む卦
と見ます。
【易爺※おわり】

    ×  ×  ×

1968年11月27日の自民党総裁選挙の結果は、

①佐藤 249票
②三木 107票
③前尾 95票
④藤山  1票
と、紀藤先生の占考のとおりでした^L^

 どうです!易占は捨てたもんじゃないないでしょう^L^ただ、占う人の依りますのでクレグレも悪い易者に引っかからないように注意してくださいね。

 先日もYahooの知恵袋で、
「本筮易の「山火賁」にはどのような意味がありますか。」という質問がありました。

「本筮易」なんて仰々しい名前ですが、あれは本筮法というより中筮法の占い方で普通の周易の占いです。本筮法も中筮法も三変筮法も紀藤先生の四遍筮法も高松貝陵先生の「序卦断法」なども、卦の立て方・起卦は、そう難しいものではないです。

 ふつうは、中筮法で起卦して、得卦は
天沢履の兌爲沢を得ました。
爻卦は上爻から【乾艮艮離震坎】です。
 これだけで済む話です。

 それを、
「天文 天山とん 之卦 兌為沢 本卦 天沢履
人文 山火賁 之卦主爻 同人 本卦主爻 山火賁
地文 雷水解 」

と仰々しく書いているだけです。

 上の紀藤先生の占例でもお解かりのように、天地人の卦や爻卦、錯卦、綜卦などは必要の応じて書き出すものです。
 それを仰々しく並べ立てるの詐欺師の手法ですから、初めから疑ってかかることです!!!よい子は注意してくださいね。また最後にクダランことを書いてしまいました><;


紀藤元之介先生の御冥福を御祈りいたします(合掌)

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この記事へのコメント

木藤 謙
2020年09月29日 14:49
突然のご連絡お許しください。
わたくしは紀藤元之介(本名 木藤源治)の長男で木藤謙と申します。
貴台のブログに父のことが記述されているのを偶然発見、拝読いたしました。
わたくしは易とは無縁の門外漢でありますため、貴台のような方が父の業績を後世に伝えていただくのは大変有難く、感謝申し上げる次第であります。
今後、膨大な量のブログですので、じっくりと拝読させていただきたく存じます。尚、池田市にご在住とのこと、偶然にもわたくしは隣の箕面市のに住まいしておりますので、もしよろしければご尊名などお聞かせいただければ、大変幸甚に存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。  木藤謙 拝