◆『終戦と開戦』の著者に対する石竜子の予言と『易学通變』

◆『終戦と開戦』の著者に対する石竜子の予言と『易学通變』

 きょうは八月十五日終戦の日です。
 先日なんとなく紀藤元之介先生が主宰していた易学易術に関する月刊誌『実占研究』を見ていたら、ミズリー号艦上で執り行われた日本降伏調印式に重光葵全権の随員として参加した高岡定俊氏の著書『終戦と開戦』のことが書いてあったので、早速 大阪府立図書館から借りてよんで見ました。
 きょうはその『開戦と終戦』の冒頭の「石竜子の予言」の部分を紹介いたします:
◆石竜子の予言


 中学四年生のころだった。芝山内に住む当時有名だった占師〔うらないし〕の石竜子のところへ、母に連れて行かれ、観相してもらったことがある。大正初期だったが、石竜子の名は東京市民に知れわたっていた。
 そのとき、石竜子は、じっと私の顔をみて「このお子は芸術家に向いているが、海軍軍人になる、特に先々は帷幕〔いばく〕(機密のことを議する場所、ひいては参謀本部をさす)の人になる」と言った。たしか観相の前に「一」の字を書かされたように覚えている。

 私は当時、まだ中学生だから「帷幕」という言葉は漢文の授業で習っていたかもしれないが、あまりピンとこず「妙なことをいう易者だ」ぐらいに思っていた。

 この石竜子の言葉が、古希(七十歳)を越えた私の耳底にいまでも残っているのは、何とも不思議なことである。

 元来、私はあまり占〔うらな〕いなどを信じない方なのだが、私の歩いてきた道を振りかえってみて「なるほどなあ、よく言い当てたものだ」と、石竜子の予言に感心しているのである。

 故山本五十六元帥と故大西滝治郎中将が、パイロットの採用に当たって、水野義人という、よく当てる観相家を嘱託にして選抜させたことがあった。その的中率は80パーセントを上回ったそうだ。この話は作家の阿川弘之氏の『山本五十六』に詳しく書いてあるが、私は石竜子の言葉と思い合わせてみて、水野氏の観相を一笑に付すような気は起こらない。阿川氏は次のように書いている。

「水野義人は、戦後司法省の嘱託として、調布刑務所に勤務し、犯罪人の人相の研究をしていたが、間もなく進駐軍司令部の鶴の一と声で免職になり、現在は銀座の小松ストアの相談役として、店員の採用や配置に関して助言をする仕事をやっている。

 戦争中、水野が、飛行適だけれども事故を起す性だと言った人の名前には、マークをして金庫にしまっておいたが、其の三分の二は事故で死んだという。

 私は、水野義人の観相の術が、どの程度純粋な応用統計学で、どの程度超心理学的要素をふくみ、更に其の上、催眠術や手品の部分があったのか無かったのか、これを確言する事は出来ない。それに、それを追究するのは、此の物語の役目ではなさそうである。

 ただ、山本五十六の、水野に対した対し方には、私は興味を覚える。それは、一つには、山本が大層部下思いであった事の証左であり、もう一つには、彼が、普通科学的、合理的と考えられている以上のものをも割りに直観的に、すぐ信じた、少なくとも無視しなかったという事の証左のように思えるからである。」


 私は易をそのまま信じるほど単純ではないが、よく占う石竜子のような人には、長年の修業と直観から、おのずからほとばしる何ものかがあるのであろうか。
 初代の石竜子は文化五年五月二十五日に歿している。徳川中期の観相家で本名は逸見相繁。字は伯節、号を松斎という。江戸芝に住し、観相学の大家として知られ、殊に墨色判断をもってきこえ、のち法眼に叙せられたという(『大人名事典』平凡社刊より)。


 『卜筮序律〔ぼくぜいじょりつ〕』や『筮前〔ぜいぜん〕の審事〔しんじ〕』をみると次のような事項を明らかにすべしと教えている。

一、筮〔ぜい〕を請う者の分限を審〔つまびら〕かにすべし。

二、その人の地位を審かにすべし。

三、その人の時を審かにすべし。

四、その人の居所を審かにすべし。

五、その問筮〔もんぜい〕せんとするところの事情を逐一微細に聴き定むべし。

六、その人の勢を熟察〔じゅくさつ〕すベし。

 加藤大岳著『易学通変』によると、易占家の資格の第一として、「学識、教義」をあげている。
 また「推理的頭脳」「円満な常識」の所有者、「旺盛な精神活動力」と「信頼に価する人格者」であ
ることが要請されるとしている。

 孫子の兵法にもある「故に之を校〔かんが〕うるに計を以てして其の情を索〔もと〕む。曰く、主・孰〔いず〕れか有道なる。将・孰れか有能なる。天地・孰れか得たる。法令・孰れか行なわる。兵衆孰れか強き。士卒・孰れか練れたる。賞罰・孰れか明かなる。吾之を以て勝負を知る」と変わらない言葉である。【易爺:変わらないかwバカモンw】

 私は海軍にはいってから、帷幕の軍師になろうなぞとは夢にも思ったことはなかったが、運命は不思議にも、大戦争中の大本営参謀で海軍の生涯を終えた。
  ・・・高岡定俊著『開戦と終戦・・人と機構と計画・・』より・・・

 以上が、高岡定俊著『開戦と終戦』の冒頭の文章です。著者はなぜ、この話を冒頭にもってきたのか、小生にはその意図がわかりません。
 もちろん、最後まで読みましたが、残念ですが、この冒頭の部分意外、あまり小生には得るものはありませんでした><;


◆この本を知るキッカケになったのは、『実占研究』昭和43年9月号の表見返しに書いてあった、次の文章です:
  易学通変

 繋辞伝上の第五章に、
「生生之謂易、成象之謂乾、效法之謂坤。極数知来之謂占、通変之謂事、陰陽不測之謂神。」
 とある。加藤大岳先生の名著の名は、この章の「【★傍点→】通変【★傍点→終り】之謂事」から採られたにちがいない。その初版は菊版布装・背革・天金の豪華版、五百部限定で昭和十年六月に出た。定価は六円。貧書生にとっては高価であったが、私は初版を入手し精読した。当時著者は二十七か八。私は十七ぐらいだっただろう。しかし、易に憑かれていたせいか、「これぞ稀有の名著」と叩頭した。そういう“眼力”において、ちょっとした天才であったようだ。(呵々=笑い声の擬音を表現した字句)そして、いまもこの思いは変らない。私が「『易学通変』は、加藤先生の最高の名著であるばかりでなく、真の“古典”である」と云い、後から会うひとたちに精読を奨めつづけるゆえんである。


 私がとくに、同書を「最高の名著」と思ったのは、其の第一篇「易占方術の維新」73ページに感銘したからである。

 ところで、最近、毎日新聞から「開戦・終戦」という本が出たらしい。私は先日上京のおり、方々の書店を探しまわったが、入手できず、まだ見ていないが、元海軍将官某氏の著という。

 その「開戦・終戦」のトップに、どういうわけかわからないが、この『易学通変』のことが書かれていると、云う。それも私がさきに挙げた第一章の、ものの見方・考え方(運命方術についての革命的意見)を推奨して措かないらしいのである。たとえば、

「・・・易は事物の表面に現れた一点を捉へ、一点を中心として全般に亘り、その現象の全一体を至極の客観に於て観察すると共に、事象が内蔵する裏面の複雑なる経緯を系統立て、由って来れる原因を明らかにして、其の過去を探り、現在と照合して更に将来の進展・変化を察知すべく、最も精密な理法を
基礎として構成されている。・・これが易理であり、此の理法を最も適確・精緻に使駆するのが真の易占なのである」
とか、

「易占の真に眼目とする処は、人事百般の難事に当面せる人々をして、其の難みの生じた理由を知らしめ、将に来らんとする変化をも豫【あらかじ】め明らかにして、進退出処の時宜を得せしめ、以て人間
生活の向上と平安とに寄与せんとする方術である。」とか、

「正しい易を学び、深く易理を探り、更に正統的方術に依る占断を行ふベく習練を積むといふことは、易占家の資格完成への一つの道である。即ち易は有らゆる知識の宝庫にして磨かれた教養の糧であり、易理の窮理は理論的推理力の陶冶【とうや】であり、更に揲法は精神練磨の試金石であって、易を極めることは入間完成への一つの道と称し得る」
 というようなことばはいまも「新しい使唆」を与えずにはおかない名言だから、その著者も感動して引用したのであろう。(紀藤元之介)

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 最近、ブログに書いてみたいネタは沢山あるのですが、時間がありません。時間ができたら整理して掲載する予定です。

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