◆10月31日 今日は「ガス記念日」・・『易豪・高島嘉右衛門』より

10月31日 今日は「ガス記念日」です。
あの明治の易聖 高島嘉右衛門・呑象翁が日本で初めて造ったガス灯が、 横浜で点灯した記念すべき日です。

 明治5年〔1872年〕9月29日〔新暦10月31日〕に横浜の馬車道に日本最初のガス灯がともった日です。

◆このガス会社設立については、次のような裏話があります。

 紀藤元之介先生が著した『易と金と事業と・・易豪・高島嘉右衛門』のなかで、呑象翁が横浜にガス灯を点ける事業に参加した経緯について、つぎのように書いています:
 明治四年の七月、当時の県令・井関盛艮と会ったときガス会社設立の話が出た。

 井関県令から
「ドイツ領事が、横浜にガス燈をつける仕事を許可してほしいと云ってきた。領事が社長になって経営するというし、公使のホンプランドも出資して応援すると云っているからじゅうぶんに信頼できる話である。横浜全体が明るくなることだから、近いうちに許可しようと思っている」
 という話、が出たのである。

 ところが嘉右衛門は、清国の上海などで、欧米人がどういうことをしたかをよく聞き知っていたから、事業権を外人に握られてしまうことを恐れた。

「井関さん、それはあぶない。才覚を見こんで迎える婿に、母屋をとられてしまやしませんか」

「かれらは明るい燈の下のくらしになれているのに、日本へ来てランプやローソクの燈の下でくらすのはたえられない、というんだ。そこで便利で安いガス燈をつけたいと出願しているので、無理もないと思うが・・・」

「ええ、無理もない。ガス燈はめっぽう明る
いうえに安いから、利用する者は喜ぶでしょう」

「夷人も喜ぶだろう」

「喜びますよ。したがって会社は大いにもうかる」

「営業だからもうかるのはけっこうではないか」

「しかし井関さん 考えてみてください。利益をみんな夷人に持っていかれてしまいます。どうなりますか」

「投資の正当な利潤ならしかたないだろう」

「そこですよ!・・・夷人の婿どのに夜を支配されてしまっては、国を危くするおそれが
あると思いませんか」

「・・・」

「じつは太田町の知り合いの医者が、一年も前に出願しているんですよ。そのほうはどうなっていますか」

「しかし資金もなく、設備についての知識がないのに・・・」

「そう思ってにぎりつぶしていたんですかい? わっしたちは前々からそのことを考えて、内々仲間で資金をあつめ、その医者を応援していたところです。シキウツ・ライスの許可願いより、日本人の医者のほうが早いんですよ。優先権があるじゃありませんか」


 嘉右衛門は、井関の部下が、町医者の許可願いをにぎりつぶしているのを知っていたから、痛いところを突いた。

 井関県令も上海の清仏紛争など知らないわけはないから、かれの言うことがほんとうだと思いなおし、

「なるほど、わかった。しかし内海大参事にまかせているから、あれに話してくれ」
 といった。

 嘉右補門は、横浜の有力者、鈴木安兵衛、西村七郎右衛門、石川徳右衛門、田中平八、西村勝三、伊藤幸之助、益田孝、中山譲二の八人に非常呼集をかけ、大参事内海忠勝に談じこんだ。
 内海は、
「皆は市の有力者だから、市のためにこのさいシキウツ・ライス社と合併して仕事をやってくれ」

「どんなふうに?」

「外人居留地のほうの設備、配給はシキウツ・ライスに受け持たせ、町のほうをおまえさんたちにやってもらう。それでどうだ」
 というのである。内海としてはすでにシキウツ・ライスに内諾を与えていて、立場上困るというのだった。

 九人は、
「はいそうですか」
 と一応承知して引さがったが、第一回の打ち合せ会をシキウツ・ライスとやったあと、
「なあ 高島さん、あの野郎はだめだ。あんなヤツと組んだら、しりの毛まで抜かれてしまうぜ」
 と、生糸の取引をやっている鈴木安兵衛がいった。

「そうだとも、うまい汁はあいつがみな吸ってしまう」
 と調子を合せたのは、鉄砲の取引きでこみやられたことがあるという西村勝三だ。

 嘉右衛門もシキウツ・ライスとあって、その人相が気にくわなかった。
 これまで かれがつきあってきたドイツ人たちとちがって、この商魂とくにたくましい領事は冷たい計算高い眼をしており、顔の他の部分に似ない するどい鷲ッ鼻【易爺:!!!】で極端に功利的なことがうかがわれた。

 鈴木は、
「あいつはすすこいやつで、取引をいつでも土曜日に持ちこませ、その間に本国へ電報をうち、本国が好況なら翌週買
い取るが、もし不況だったらかんたんに破約して、相手を泣かせるぐらい何とも思っていないやつだ」
 といった。
 また、西村は、
「鉄砲でもそうだ。前金で払わしておいて品物を取り寄せる。そこへほかから注文があると、両天秤〔りょうてんびん〕にかけて値をつりあげることなど平チャラだ。あれはたちの悪いブローカーだよ」
 と云ったので、
 嘉右衛門はじめ皆そろって、
「あんなのと組むと、あとでどうされるかわからないから、組むのは御免です」
 と県令に申し出た。

 井関は外交上の問題もあるので、
「そいつは困ったな」
 と内海大参事と相談したうえで、
「夷人さんたちにきいてみよう」
 と各国公使に意見を求めることにした。

    ×  ×  ×

 この後のいきさつについては2009年の易爺のブログに詳しく書いています。興味のある方はご覧になってください^L^
http://akahiro.at.webry.info/200910/article_56.html

 この横浜ガス会社は、高島嘉右衛門先生の“公益心”から始めたものですが、後味のよくない事業だったらしく【2013年10月31日の易爺のブログ:“「横浜ガス灯訴訟」の占い”を参照】、先生が実業界から隠退する気になったのは、この横浜ガスの毒気にあてられ、嫌気がさしたからである、と言われています。

 横浜の馬車道のガス燈はいまも点っているのでしょうか?

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