攝津池田の「がんがら祭り」・・『愛宕火や池田伊丹の秋ひとつ』

◆きょう8月24日は大阪池田の「がんがら祭り」の日です。
わが町・北摂池田=大阪府池田市=では毎年8月24日に「がんがら火」という愛宕火を祀る愛宕神社の火祭が執り行なわれます。

重さ10キロ 長さ4メートルの大松明〔おおたいまつ〕を二本一組にしたものを用います。
その大松明 三基に火をつけて池田の町に繰り出すのです。

また 京都の五山の送り火のように、町の北側の五月山という山の中腹に「大」と「大一」の文字の形をした火が燃え上がります。

消えかけた「大」と「大一」の名残火を見ていると「今年の夏の終わりだなぁ」・・・シンミリした感じになります。


◆『がんがら祭り』の歴史は古く、正保元年【1644年】に興ったそうです。

 多田屋、板屋、中村屋、丸屋という四人衆が五月山の山頂で百味の箱を竹に立てて燃やしたそうです。
 ひとびとは その山頂の燃え上がる火を見上げて「愛宕が飛来した!!!」と競って参集したのが『がんがら祭り』の始まりだそうです。


 当時 毎年7月24日行われていました。
 旧暦の7月24日ですからちょうど旧・地蔵盆の日です、ことしは9月6日にあたります。
 池田近郊の人びとにとっては、秋の到来を伝える季節の風物詩だったようです。

 現在のように高い建物はなく大阪の町からも“飛来する愛宕の火”を遠望できるほど盛大な御祭だったそうです。

 いまは毎年8月24日に行われています。


◆「百味の箱」というのは、何なのか?・・・調べてみると:

百味【ひゃくみ】
①多くの珍しい味や食物。
②「百味講」の略。・・・信者が集まって,寺院に百味の供物を供えること。また,その集まり。

とあります。
 ちょうど、お盆が終ったころですから、②の仏様にお供えした供え物を入れた箱のことではないか、と想像するのです。
 そうすると、愛宕神社は寺院じゃない、という疑問が湧いてきます(笑)

 ちょうどその頃の池田の古絵地図をみると、現在、愛宕神社が鎮座するところには「上仙寺」というお寺になっているそうです。

 この「上仙寺」が「愛宕神社」に変わったことには、役小角〔えんのおづの/おづぬ〕を開祖とする山岳宗教・修験道における真言宗系の『当山派』と天台宗系の『本山派』の二大派閥の抗争の歴史があるのです。
 役小角は、愛宕神社が鎮座する五月山のすぐ東どなりにある箕面の滝を「これこそ吾が求める霊験無双の勝地である」とし、熊野那智大社にある那智の滝を「南滝」、箕面の滝を「北滝」と呼んでいるのです。その当時、この「北滝」に連なる五月山は修験道の修業の聖地だったのです。

 ・・・ということで 天台宗系本山派が多田屋、板屋、中村屋、丸屋という四人衆を煽って「愛宕の飛び火」のデモンストレーションをさせたのではないでしょうか?!
「愛宕の飛び火」が有名になり、真言宗系当山派の「上仙寺」が衰頽して、現在の「愛宕神社」になったのではないでしょうか^L^

 「がんがら祭」には、この修験道の二大派閥抗争の歴史が、処暑の夜空を燃え上がる「大一」と「大」の二つの送り火にも隠されているようです^L^
 

江戸時代の俳人 休計の句に
『愛宕火や池田伊丹の秋ひとつ』  休計


小生も駄句をひとつ

 愛宕火や修験者たちの夢のあと
 愛宕火に山川草木舞い上がる   青柹郎 


 愛宕神社には、まだまだ興味ぶかいことがありそうです^L^

 下図は『攝津名所図会』の池田五月山 愛宕社の頁です。
 『万葉集』の歌
「五月山はなたち花にほととぎす
  かくらふときにあへるきみかも  読人しらず」
 ・・・すぐ左の長方形のなかは「きぬかけ松」いまも五月山霊園の横に新しい石碑が立っています。

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