きょう3月29日は二代目玄竜子 目黒八朗先生の命日です。

きょう3月29日は二代目玄竜子・目黒八朗先生の命日です。

目黒八朗先生は人相学の大家であり、病相望診を専門的に研究され、この分野において非常におおきな貢献されました。

きょうは二代目玄竜子 目黒八郎先生ご自身の気質について、紀藤元之介先生が書いたエッセイを紹介いたします。『実占研究』S45年3月号に掲載されたものです。:
 玄竜子相法気づいたまま

      藤蔭弄史


 早いもので、二代目玄竜子・目黒八朗氏が残くなられて、この三月で丁度七年になります。あとは未亡人と、三人のこどもが残され、いずれも元気ですが、栄養質・筋骨質・心性質の「三質概論」を読み返してみて、筆者は、「目黒八朗氏こそ、心性質の正格で、典型的だったナ」と思いました。氏の面影を思い浮べながら、その特徴をここに列記してみましょう。

 目黒八朗氏が、「玄竜子相法」を書かれたのは、二十代のことですから、氏の長男又は次男の現在の年齢と同じくらいだったでしょう。その若いころは家庭的には種々の悩みがあったようですが、何といっても当時有名だった人相の大家の長男でしたから、経済的には不自由なかったはずです。だから氏は、「心性質」の特徴を書きながら、自身を心性質の典型的な相と思っても そのわるいほうの面が、自分の将来に出てくるとは思っていなかったかもしれません。その中年から晩年にかけては、気骨隆々でしたし、いわゆる名人気質で、時勢に便乗して幇間【ほうかん 男芸者 たいこもち】みたいに踊るようなことがなかったから不自由でした。私が見た玄竜子の人相を、ここにあげてみます。

〇毛髪髭細く柔軟。〇皮膚やや緻密にしてやや滑らか。〇眼生々としていた。〇眉柔らかく薄かった。〇鼻は尋常に見えて鋭くなく中広だった。〇口小さくして締りよかった。〇顴骨【かんこつ】はやや高かったが目立つほどではなかった。〇年の割に早く生際【はえぎわ】ぬけ上っていた。〇耳の肉あまり厚くなかった。〇耳 眉よりやや高めだった。〇耳 下細りの三角状(つまり垂珠が肉厚でないこと)に似ていた。〇顔色は蒼白ではなかった。〇唇は上下よく揃って厚からず、大きくはなかった。〇手は柔軟だった。〇五指共に骨立たず優しく見えた。( 但し、解蒙用の特製灸をつくるため、指にタコができていた。)〇頬 豊頬でなかった。〇下細りの三角頬だった。〇丈 低かった。〇額の横巾広かった。〇足はやや小さめだった。〇四肢 比較的短かった。〇腰骨 骨盤小さかった。〇やせて小さかった。〇肩 怒っていず、やや撫で肩だった。


 これは「玄竜子相法」に列記してある二十六ケ条のうち、〇顔色蒼白〇額後退せず、という二つぐらいが合っていないだけで、心性質の「正格」そのものです。


 次は性質ですが、同書の

〇この質の人は一般に理性に勝れている・・・という点は、後天的教養によって、理想的になったが、じっさいは相当感情が激しやすい性質だった。ご本人はそうは思っていなかったようですが・・・。〇頭で飯を食う人【頭を使う職業のひと】らしく、上停が発達していたが、名人気質のため(世の中がこういう人を研究一本に打込めるようにしてくれない、というせいもあった) 充分に、安心してというわけにはいかなかった。〇原因を窮むること切、理想高く、着眼点もよかった。〇推理、洞察力があり、学問を以て世に立つに適していた〇脳髄は緻密、技術者としても優秀だっただろうと思われた。〇「官ありて禄なし」とは、徳川時代の公卿がその代表だったけれど、ここでは能力あって財力ない者とか、或る道の権威でありながら、地位なく財なく、あまり報われない人と直せば、それに合っていたようです。

 又、氏は幼いころ「神童」とよばれるような、賢い子だったのではないかと思います。晩年になってもその片鱗がうかがえましたから。

 又、「心性質が多く勝ってゐて、他の二質を圧するような者」であったけれど、〇子孫の縁はうすくなく、三人のいい子持ちでした。〇金に縁うすくはそのとおりのようでした。〇妻に縁うすくは、これもあてはまらず、現未亡人との大ロマンスもあったらしく、疎開先きへも一緒、終生よき妻にかしずかれていたので、これは合っていませんでした。〇孤独の生涯ではなく晩年大いに友や門下に慕われた。( 但し やや絹介で孤高をたのしむ風は、生涯あった。)〇昔より大学者や名人には、貧乏はつきもののようにいはれていたのも・・・というのは、よくあたっていたようです。〇昔より学者にして、赤貧洗ふが如きはいくらもある・・・というのは氏がその一人であった。

 これを書いたころは、「今日に於ても尚 吾人の屡々耳にする所である」と書いてあるけれど、見聞でなく、氏は身を以てそれを体験された。

 なお、「欠点」の項で、〇物質欲に あまりに冷淡・・・という点は、そうのようでもあったし、とにかく、どうしようもなかったというのが本音だったようです。〇愛情もうすく・・・というのは、前記のとおり、夫人と恋愛し、よく終生愛し、頼りきっていたようだし、こどもにも愛情が深かったから、これは違っていました。〇若衆面(隠者風の生活をし、隠者面的な面もあったけれど)の性質も具えていて、義にいさみ、人に同情し、おせっかいをやくところもあった。また〇いきなことを好み・・・は、東京の下町っ子だったから、「いなせ」なところがありました。〇病気は、神経衰弱、不眠症、消化器の病気持ちのようでした。

 このようにみてきますと、変格(営養質や筋骨質のミックスしたもの)は殆んどなく、正調・安来節ではないけれど、オール心性質で、アラエッサッサでした。 ・・・筆者なども、もとは やぜの心性質でしたが、三十代の終りごろ一か月ほど或る友人と一夏ビールを毎日飲みつづけてから、まるで栄養質みたいに変ってしまいました。玄竜子さんも、歯をちゃんと入れて、時代にマッチするような活動家に在っていたら あるいは栄養質ふうになられたかも。

 ここで、考えなければならないのは栄養質・筋骨質・心性質といっても正格は非常に少いということです。

・・・
 心性質・栄養質・筋骨質は見た目で判断するものですから簡単に思えますが、紀藤先生が書いておられるように典型的な人は少なくミックスの度合いをどう観るかが問題なのでしょう。

 二代目玄竜子 目黒八朗先生のご冥福をお祈り致します(合掌)

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