◆10月14日きょうは『東の易の鬼』紀藤元之介先生の命日です。

◆10月14日きょうは紀藤元之介先生の命日です。
四遍筮法という占い方を考案された先生です。
あの太い眉にメガネをかけた紀藤先生が亡くなったのは昭和56年10月14日のことです。享年 満63歳。

 お名前の「元之介」は、四遍筮法でえた最初の卦を「元卦」、二番目の卦を「之卦」とよんだところから名付けられたのでしょうか。勿論、本名の木藤に由るものです。

 むかし・・・といっても太平洋戦争が始まるまえ頃ですから七十年以上もまえのことです・・・「『東の易の鬼』は紀藤氏、『西の易の鬼』は村田氏」と今東光先生が仰ったそうです。

 その『東の易の鬼』の先生は関西に引っ越され、当初は春日大社で神職につかれ易の講義をされていたそうです。
 その後、『西の易の鬼』の村田佳穂先生の後任として日本易学協会大阪支部長になり、関西の易の発展に貢献されました。

 きょうは紀藤先生を偲んで『実占研究』昭和51年11月号に掲載されました紀藤先生の講演記録『実占の要諦』をUPいたします。
 さて、副題の「芭蕉忌や古池涸れぬ水鏡」はどなたの作でしょうか?^L^:
  『易占の要諦』
  ・・・芭蕉忌や 古池涸れぬ 水鏡・・・


        紀藤元之介


 汎日本易学協会創立四十周年記念講演会、と銘うたれたこの会に、創立当時からかかわりのあった一人として『易占の要諦』という題を与えられ、おしゃべりする場を賜わったわけでありますが、およそ『要諦』といったようなものを語るには、それにふさわしい貫禄も風格も必要で その道で大成した人、円熟した人、悟りを開いた枯れた人でなければなりません。ところがわたくしはごらんの通りのボロぞうきんみたいな男ですから、与えられた題にふさわしいお話など、できっこありません。が、三人の先生方に挟まれて、三十分ほどお耳を汚すことに致します。


 はじめっからしめっぽいお話で恐縮ですが、この一年足らずのあいだに、わたくし共は高田真治先生、薮田嘉一郎先生、鈴木由次郎先生、そして渡辺観岳先生を失いました。四先生は、高田先生が「文彰院靖誉楷菴清真居士」、薮田先生が「嘉藻院耀山日修居土」、鈴木先生が「乾堂院釈由順教証居士」、渡辺先生が「観岳院東禅清風居士」と名を改められ それぞれの御遺族によって祀られておられますが、わたくし共も来たる十一月十四日に行なわれる大阪・四天王寺の易学供養塔に、ほかの物故諸先生とご一緒に合祀申し上げ、その御冥福を祈ることになっております。返らぬ繰り言ながら、四先生はわが国易学界、とくにわが汎日本易学協会にとりましては、大きな傷手でございます。高田先生と薮田先生は戦前から、鈴木先生と渡辺理事は戦後でありますが、多大な貢献をして下さいました。


 この八月十三日に七十三歳で歿くなった渡辺理事は、東京の会にわたくしと一緒によく出て来ましたのでお馴染の方も多いと思います。一言にしていえば「稀れなる好人物」でした。
 生前、渡辺さんは、わたくしの家内や易友に、「易をとってみたところ、ぼくは九十まで生きられることになっている」といったそうです。自分の命数を易に問うたらしいのですが、わたくしには、どういう卦が出たから、どう判断した、というようなことは言っておりません。いわゆる観岳流の見方で卦を読んだらしいのですが。とすればこれは誤算であり、誤占であります。
 けれども渡辺さんのように、「長生きして世の中の移り変りをよく見てから死にたい、もっと面白い目にあわなければソンだ」と切実に希求していた人にとっては、自分で易をとって命数を占い、自分流の解釈をして満足し、生きる張り合い、励みをそこから得ていたようですから、じっさいには誤占という結果になろうとも、易好きの妙好人だった氏には、それなりに「易の効用」はあった、とわたくしは解しています。


「お前はどうか、自分の命数を占わないか」と問われれば、わたくしは「占わない」というほかありません。わたくしはものぐさでもあり、それに自分の死期など易をたてて、卦から読み取ろうとしても、どうせ希望や欲が混入して、正しい読みなど出来っこないと思っているからであります。うちの者にしてみれば、早いうちに正しく予見して、いろいろ準備しておいてくれれば助かるのに、と思っているかもしれませんが。意地悪るするわけではありませんが、わたくしにはまだ徹底した死生観がなく、自分の占いの信者になりきっていないというのが、事実であります。実占をしていますと、いろいろなことをきかれます。「うちの姑さんが寝ついているのだけれど いつまで保つでしょうか」といったような問いもあったりして、いろい
ろと都合もあるんでしょうが、わたくしはおことわりして「薬石の效なきを知りつつも手を尽すべきだ」というようなことをいいます。受取る側ではそういう答えを、命・旦夕に迫っていると取ったりして、お婆さんが残くなって幾月かの後に、まわりまわってわたくしの耳に、わたくしがその御隠居さんの歿くなるのを、日から時間までピタリあてなさったそうな、といったような形で伝わってきたりして、おどろいたことがあります。



 占いの先生によっては、自分の死ぬ日から時刻まで言い当てられた、とお弟子さんたちが言っているのを聞いたことがありますが、一生一度の大的占が自分の死期予言だったのかもしれません。りっぱといっていいかどうか。わたくしはそういう占法があったとしても不勉強だから知りませんし、習いおぼえたいとも思っていません。



 病占もよくたのまれますが、これも限界があります。医学的知識の問題もありますが、患者さんが入院していらっしゃるばあい、その生死に関しては病院の先生に責任があることですし、お医者さんは患者の生命を預かり、患者は預けているのですから、占いが介入できる余地は殆んどないといっていいくらいです。けれども一度だけ、わたくし大阪のある大きな病院へ入院中の懇意な老婦人について、病院では手の施しようがないから、お宅のほうで何でもしてくれと匙を投げられまして、介入したことがあります。この方は、昭和十四年に大阪で汎日本易学協会の関西支部を作ったとき、足場にした旅館の娘さんで、加藤先生も塚本先生もよくご存知の方です。私見舞にもいきまして、そのあとで四天王寺で合祀供養をしているとき、福岡県田川市の穐吉医学博士が出席しておられたのへ、「こういう次第ですから、ひとつ病院へ往診してみてやって下さいませんか」とお願いし、迎えに見えた息子さんに同行してもらいました。お蔭でその老婦人は早々に退院、自宅療養をし、現在ピンピンしておられますが、こんなことはめったにできることではありません。運が強かったせいもありましょう、病院で手の施しようがないから そちらでどうでもしてくれ、といわれて、わたくしなどが相談に預って出来たことです。易占で、入院先きをえらぶとか、お医者さんをえらぶとか、療法をえらぶとか、いろいろすることがありますが、入院しているばあいは匙を投げられでもしないかぎり、差し出たことはできません。わたくしは臆病すぎると批判されますが、名人・達人ではないし、限界を心得たふつうの常識人ですから、占に関するかぎり放言を慎むとか、だいじをとるように努めている次第です。



 「占い」とくに易占は、むかしと較べてだいぶ違ってきたように思えます。易占術を行うひとの意識が変ってきています。銃砲の的・不的と同視されてきましたが、射覆(せきふ)にそれは残っているものの、だいぶ違います。弓・ピストル・小銃、そして旧式の大砲などは直接照準で、対象を狙い撃ちしました。そのうちに特別の眼鏡(がんきょう)が出来たり、三角測量法を採用したりして間接照準により、煙幕の彼方や山の向う側を移動する対象などを撃つことができるようになりました。「対象に中てる」ということでは易占と似ていますが、銃砲は破壊・殺傷を目的としたものであり、「あてること」「あたり・はずれ」ということ以外の目的や効用において違うわけです。
 次に似ているといえば写真ですが、被写体をとらえることと、易占とが似かよっていますが、静物と動く物は、カメラを変えなければならないことが、筮法に違いがあるのと近いようですが、これを同じようなものと見て、易占を説明したりするのには不適当だと思います。
 それから「実占は真剣勝負だ」ということから、各種の競技、とくに個人々々で行う勝負の勝負師の心境や鍛錬などと通じるものがあるようにいう人がありますが、違う点のほうが多いと思います。「易占って何だろう?」となりますが、わたくしたちの知っているさまざまなわざと違う点があまりに多いように思います。同じ「占い」とよばれている各種の占いとも、肝腎なところへゆくと、一緒にするわけにはいかないものがあります。それは、同じように未来の、未然事を予見・予測するわざでありながら(うまくいえませんが)一あじも二あじも違います。いいとかわるいとか、優劣をいうのではありません。近代の「易占」は(加藤大岳以後ですが)むかしの「易占」とも違ってきています。うまく表現できず、もどかしさをかんじますが これは易占成立の過程を一コマ一コマ追ってみるほかないと思います。


 わたくしたち占者が、求占者を前にして、その依頼によって立卦し読卦し占断を告げる過程は、改めて申し上げることもないわけですが、まず、占対象をつかむため、求占者と話し合います。聞き出すのが巧いとかヘタだとかいうこともありましょうが、わたくしなどは雑談に比較的時間を費やし、占題を構成し、占的を絞ってゆくようにします。漠とした内容でもよしとする人もありますが、それは余程馴れた巧い人で、わたくしなどは出来るだけ具体的に伺ってからでないと、筮竹をとりません。これはわたくしの癖、あるいは慣性とでもいいましょうか。協会が出来た頃の初学時代から今に至るまで、変らぬ態度です。四十年もやっていて、バカじゃなかろうかと思われる人も有るかもしれませんが、相変らずなんです。わたくしは、この「まとめ」つまり筮前の審事をいまもって重大視しているのです。こんなふうですから、一日に何十人もの相談にのったりはできないのです。
 雑草のように生きてきて、雑学そのもののわたくしは、むだ話みたいな雑談をしながら、占題のまとめをし、占者の一占に費す労力の半分ぐらいを筮前に使っています。
 各種筮法を心得ている人は、この占にはどの筮法を用いたらいいか、六変中筮法を用いたほうがいいとか三変略筮法を使うほうがいいとか。わたくしは目下、四遍筮ですべて間に合せていますが、如法に筮して卦を得、その卦面に表われる意味、象などを読もうとするのですが。得卦まではとくに申し上げることはないと思います。どう卦を読みどう解するか、ここがたいせつなところだろうと思います。だいたいわたくしは、占的なるものがガンのように転移したりするものではないと思っていますから、求占者からきいてまとめた知識を、できるだけ冷静に処理して卦面を凝視し、現在の現実と卦面の象示とを照合し、現実では時間が経たなければ目前にし得ない未来事、未然のことを、卦から読み取ろうとするわけです。これには、得卦は現実と符合し、現実の未来を目前にさせてくれるという、遇卦への信仰が基になっています。ただし卦面には読もうとすればいくらでも読めるような、妄想の種になるようなものがたくさん付着していまずから、これをこそぎ落すことが必要です。つまり「捨象」することで、尤もらしく見えるもろもろを、物惜みせず捨てるというところが、コツといえば言えるかと思います。キノコ狩りや栗拾いをなさった人はおぼえがあると思いますが「ここにあった。ア!あそこにも」と次から次と眼について、見捨て見すごすことができなくなるものです。卦面に出てくる象意も同じで、思いきって捨てなければ、焦点が拡散して、たいせつなものがとらえられなくなります。どんどん省き、さっさと消してゆく。物惜みしないことが、だいじじゃないかと思います。わたくしは俳句をつくるとき、写生、そして主観的なものの見方の抑制、斬り捨てなど、必要なことだと思いますが、卦を読むうえで この作句法などが役立っているような気がします。わびとかさびとかはともかく「軽み」といったようなものは、卦を読むことと共通しているような気がします。心境的にいえば深刻がらないこと、欲ばらないことといったらいいでしょうか。


 時聞か少(なりました。・・・ここにわたくし持参しました書物は、菊版、背皮、天金の豪華な本で、昭和十年発行、限定五百部のうちの一冊で、定価六円。貧書生にとっては大金でしたが、ごらん下さい。ここに汎日本易学協会々員、和州、木藤源之介蔵書としてありますし、随処に朱で傍線をひいたり、朱点を打ったり、書き込みしたりしてあります。『易学通変』です。わたくしは、生意気にも、『易学病占』や『易学通変』や『四柱推命学』など、四十年まえに書かれた加藤先生の著作に衝たれ、これある哉と敬倒し、以後「初心忘るべからず」で、各処に見える名言をたいせつにしてきました。
 お笑い下さい。その頃わたくしは「和州」と号していたのです。大和(やまと)の和、和を以て貴しと為すの和。いま思うと不思議な気がしますが、戦後、大和の春日大社へ奉職し、その後、聖徳太子ご創建の四天王寺に深い縁をもったことなど思い合せますと、この「和州」という号、捨てたものではないなと思います。わたくしには、藤蔭弄史その他の変名がありますが、この機会に四十年まえは何の気なしに使った「和州」という易号を、これから使おうかなと思っています。


 さっきちょっと俳句について申しましたが、はじめに黒板へ書いた、芭蕉忌や古池涸れぬ水鏡という句について申しあげて、おしゃべりを終りたいと思います。黒板に俳句ひとつ書いて、何にも言いませんと、「紀藤のヤツ、陳腐な月並みな駄句を書いて、したり顔して」と、俳句を作る人、俳句の鑑賞に馴れた人は、軽蔑といぶかしさのまじったまなざしを、黒板にそそいでおられたかもしれませんが。これは旧暦十月十二日の芭蕉忌、ことし(昭和五十一年)のように閏月のある年でしたら、十二月はじめの、ところによっては池に薄氷の張るような時期の句で、蛙飛び込む晩春とちがい初冬の句だと思うと、だんだんわかるような気がしてきます。「古池や」という芭蕉の句が静中の動、陰中の陽の句とすれば、この「芭蕉忌や」は静中の静、陰中の陰ともいうべき句かと思われます。元禄七年十月十二日、大阪で歿くなった芭蕉を偲んで、白蛾・新井祐登が詠んだものです。芭蕉の百回忌の二年まえに白蛾は歿くなっていますから、これは九十回忌ごろに詠んだものかと思われます。「不易流行」を俳句のうえに生かした芭蕉を敬慕した白蛾がのこした、唯一の俳句であります。易亦写生です。

ご静聴ありがとうございました。(―講演草稿)

・・・以上『易学研究』S51年11月号より・・・

 小生は、きょうも紀藤元之介先生の意に反してデイトレにウツツを抜かしています。
 きょうのエントリーの可否の占いは賁の六五「丘園を賁る。束帛〔そくはく〕戔戔〔せんせん〕」でした・・・労多くして成果少なし、というところでしょう><;
 
 

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