10月14日紀藤先生の命日 「紀藤易とは?」

きょうは紀藤元之介先生の命日です。
ちょうど34年前の昭和56年10月14日に亡くなりました。

 紀藤先生と親しかった塚本健策先生の「紀藤元之介氏を憶う」という文章が、『易学研究』のS57年1月号から3月号に連載されています。
 これはその最後の部分・3月号に載っているものです:

   紀藤元之介氏を憶う(三)

        塚本健策


 研究誌が配達された。「紀藤易特集」と銘打った十二月号であった。
 昭和二十七年十一月の創刊であるから、まさに二十九周年から三十周年へと一歩踏み出した号である。
 創刊に至る経緯は、今東光先生追憶文中に触れた。初期の資金難と紀藤氏の悪戦苦斗振りは、小生当時姫路に住し屡々上阪してまのあたりにして居る。
 然し紀藤氏は屈しなかった。
 精力的に行動して道を拓いて行ったが別に夫人が朝鮮から引揚げの際大切に持ち帰った「琴」を売るくだりなど涙ぐましい夫人の内助であった。
 東京と関西とではサイズが異なるそうで安く叩かれて仕舞ったとは泣くに泣けない次第である。

 其の後と雖も決して楽では無かったと思われる。
 然し此処迄継続し得たのは氏夫婦協力の賜物であると言わなければならない。
 創刊に参画した小生はいま此の号を手にして、感無量である。天仮すに一歳の寿を以てせずして三十周年記念の盛儀を見る能わざらしめたのは、何としても残念であり、氏も亦心残りだったのではなかろうかと想像される。

 顧みて十周年の節は故有って足掛け十年を祝った。其の節、加藤大岳先生は、記念行事に参列なさって帰京の途次雪深き金沢に新井白蛾先生の墓前に詣で、将に無縁仏扱いされんとするところを当局に中止せしめ、墓域修復事業の端を開かれたのであった。

 若し十周年相当年であったならば間に合わぬところで真に「機」と言う可き感がある。
 氏は若い頃から常々
「自分は、易学史に名を残す人物になるのだ」
 と語って居られた。

 これは豪語に似てさに非ず、其の歩みを見れば
「自覚乃至抱負」
と言う可きである。これ有るが故に如何なる難局にも屈する事が無かったのであろう。

 果して名を残すか否か乎は後世史家の判断に委ねるとして、其の意気たるや壮なりと言わなければならない。

 氏は速筆であられた。小生の原稿が遅々として居るので
「お茶漬サラサラ式におゃんなさいヨ」
とアドバイスして下さった事があった。まことに氏の文章は其の如く淀みが無かった。かって本誌に長期連載し後に単行本とした「高島嘉右衛門先生伝」の如きは全く歯切れの好い文章だった。

 氏に就て憶うことは余りにも多いが、一先づペンを擱くことする。
「藤樹院秀易浄光居士」の霊安かれ。



◆この塚本先生の冒頭に書かれている「紀藤易特集」と銘打った『実占研究』のなかから「紀藤易の見かた・考えかた」の冒頭の部分「易とは」のところを紹介いたします。『実占研究』の記事から広瀬宏道先生が選び編集されたものです:

  紀藤易の見かた・考えかた  広瀬宏道

 自分の易をもたねば、といわれます。
 レディメイドの易の、身体あわせに四苦八苦している私のような者には、いわゆる望蜀【ボウショク※1】のたぐいでありますが、紀藤易をどう理解したらよいのでしょうか。それについては「四遍筮法開扉」の後につけた「紀藤占法雑感」(51年2月号)でも私なりのものを、まとめてみましたけれど、クダクダと申しますよりじかにご自身でご理解いただく方がよいかと存じ、その材料となるものを、これまでの『実占研究』より抜粋してみました。もちろん、編集そのものが、私の色めがねを通しておりましょうから、ご不満な点もあろうかと存じますが、おゆるしください。


■【紀藤易】  易とは  

『変るベければ変る、変るべからざるときは変らない』んだから、多い爻変があっても、それは当然であり、いわゆる自然法爾【じねんほうに】じゃ、天雷无妄じゃ、蓍数は我々の関与するところではない、と割り切っているんですが。


 私はこのように、広義な「取象第一」とする説をもつ者で、伝来の易経の辞句を取り上げて、死物の、残骸の、ということを好まないのである。昔からある取象法にのみ泥んで、応卦・不応卦・誤卦・非卦ありとする説など、馬鹿げているというのである。また、卦名にこだわって「占事に合わない卦が出た」などと即断するのを、おかしいとおもうのである。観卦・取象に誤りがないならば、不応の卦など問題にするに足りない。その点、松井羅州の「卦に応・不応あり」とする説を、誤解だというのである。


 われわれが“卦”を通してものを見ようとするのは、肉眼では見えないから顕微鏡で見ようとするのに近い。顕微鏡を覗いて見、見えたら顕微鏡の役目は済むが、卦のほうは、次には写真機の役目に近いはたらきをする。
 写真機の、うつすという役目だけでなく、中に入っているフィルム、あとでそれを複写する印画紙、そんな役目もする。又、そのフィルムを使ってスクリーンに映し出す映写機の役目も、“卦”はする。


 大島【大島中堂】氏の、事象と卦象と合っていないときは、幾たび筮しでもよい、というような説は、出来そこないの卦があるということを認め、腐れ眼のあることを認めない説であり、かくいう私は出来そこないの卦があるなどと主張せず、眼のほうに近視・遠視・乱視・腐れ眼のあることを肯定しているわけである。


 人が未然のことを知ろうと願わなくなったら、うらないは必要でなくなり自然に消滅してゆくだろう。


 占術で運命の可変性を的確にとらえて、わるい運命をいい運命に変えようと努力するところに、占いの存在意義も、存在理由も、存在価値もあると思いますね。


 徳川時代に行われてきた易占と、嘉右衛門の易占とが違う点について、ここでくわしく触れているヒマはありませんが、大きな違いは、かれが易占を実用の具として盛んに使ったことで、アソビが少なかったことです。昔の易占家は、風流ッ気あり、遊戯気分あり、酒脱なところがありましたが、嘉右衛門は、必要に応じて易占したのであって、ギリギリのところで占っていることです。いいか悪いかはべつとして、易占するとき、あそび心を排し、一所けんめいに取り組んだ。したがってアテモノ的なものを喜ばなかった。そんな点だと思います。


 易は元来、論理的なもので、苦行者が断食・水行等の荒行によって、精神の汚れを去り、磨きすました鏡にものの映るように、ありありと未然の現象を読みとる精神一到の能力とは別に「易理」というものが厳存していて、それを筋道立てて推究すれば、未見の現象を卦上に「仮象」することが出来るようになっているのです。


 自分の全知識で知り得ない、解き得ない場合、「わからない、知ることができない」と棚上げして、澄ましてゆける人はよいが、それでは済まない、ということがあります。自分の力の及ばないことにつきあたると、「神に問う」てみる。あるいは、「測る計算尺を作って合せ」てみる。あるいは「あらゆるものの構造と同じ模型を作り、事物の解剖をし」てみる、というふうに知恵をしぼり、予見・察知の方法が編みだされた。


 元来、易の構成組織は、宇宙の生成・変化・動向に肖【に】せて作ってあると観じ「造化の摂理と易理とはひとしい」という信仰がなければ、易占そのものが行えないのです。


 「未来」というものは、大観すれば宿命づけられているでしょうが(生者必滅、会者定離)、運命的には、可変性があり、可動的だとしなければ、運命観測術(易占その他もろもろの占術)など、有っても仕方ないでしょう。


 人が、疑い・迷い・悩み・苦しんで自身の知識や経験や、まわりの人の考えでは、どうしても方策がつかないことがあります。そういうときのために「せめても」と見出した法が、易による占いです。
 占いは「人間苦の所産」でありますから、同じ苦しみに喘ぐひとにとって、なんらかのプラスがあるはずです。


 予見して、運命開発に寄与できなければ、「予見」は無用の長物だけでなく、有害でさえある。


 だいたい「易」というものは、一般の人たちが見ているような、カンを主にしたものでなく、むしろ非常に知的なものです。


 「易」による「占」は、動物的本能の衰えた人間が、自衛上智能・思慮を充分に発揮することを要請されて「考案」されたもののひとつで、いわばカンの不随意的な力に絶望して生まれたものだと言えましょう。
 ※不随意【ふずいい】・・・[名・形動]意のままにならないこと。また、そのさま。


 これ(=未来学)と、われわれがやっている未来予測法「占い」とを同一視するわけにはゆかないが、占いも同一テーマを議題として検討する「共同研究」の時代に来ているように思う。
 その意味で、プロの研究会はもっと活発に、頻繁に行われるようにならなければ、と思う。又、とりあげる問題のスケールも考えるべきだろう。


 俳句のほうでいわれている「不易流行」ということばは、易の三義にもとずいていると思い、私なりに受け取っている。簡易・不易・変易というものの見方と、俳句のこころとは、一致しているとおもう。事物を観て俳句をつくるのと、卦上に象を観るのと、私は同じだと思っている。


 だいたい易は、政・経両方面で大いに活用してもらいたいものなんだ。


 突然変異というほど大袈裟なものではないにしろ、何かが途中から飛び込んできて、常識では判断できないようなものがあればこそ、易をみるわけで、ものごとがスーッとゆかない、だからこそ易占するわけで。



 「易のものの見方は、陰陽観と三才観をクロスした八卦観だ」というのが私の持論で、


 易占で未来をあてるというようなこと、じつはだんだん価値が減じているんじゃないかな。未来予測というようなことは、これから「未来学」が科学的にどんどん発達して、占いなどよりずっと的確になってくる。占いは「お笑いの素」みたいに扱われて、権威失墜(笑)で、「占い」はこれからは、「どうなるか」ということを予見することより、「どうなるから、どうしたらいいか」ということに力を入れてゆくほうが、役立つしごとということになるんではないか。不変のコースを指摘する算命術でなく、可変性の未来をいろいろ読んで、どう対処するか、どの道をえらばせるか、そういう助言ということができるようにしたらいいと思う。そのためには、卦読み以前の勉強が必要です。


 起きうべき問題ならば変が出、また変を現わす要のない示しならば不変も出ようと思って居ります。確率的なことは、何にも関係なく、要は運命の方の問題と愚考します。(薮田曜山氏への書簡 48・2)


 私は昔、二十数年前に、当時あった「婦人朝日」が易占のことを「原子力時代にこの奇現象」と皮肉ったとき、或る人々は易は科学的で云々と言ったのに、科学的ではなく非科学的なものだと書きました。いまでもこの考えは変りません。人によっては、超科学的というコトバでよぶほうがピッタリだと言うでしょうが、超でも非でもよい。
 科学的ではないし、科学の究明の対象に、まだなっていないと思います。



 あんまり何でも、快刀乱麻をたつようにビシビシとわかると広言するのは、前近代的な占いで、いま私たちの学んでいる易とは違っています。


 ・・・以上『実占研究』三十巻S56.12号p14-p17より・・・


◆加藤大岳先生や紀藤先生の御努力により、社会の易に対する考え方がだんだんよい方向にむかっていたのですが、いまは訳の解っていない馬鹿者がいっぱしの易者のようなツラをしてのさばっているのが目に付きます。嘆かわしいことです。・・・現在の状況を紀藤先生はどう見られているのしょう?

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