4月3日は神武天皇祭・・・紀藤元之介先生の忘れ物

きょうは神武天皇祭です。
神倭伊波礼毘古〔カムヤマトイワレヒコ〕・神武天皇が御崩御された日だそうです。

そういえば、この春 ICUに入学された佳子内親王が3月7日にお一人で神武天皇の御陵に参拝されたというニュースがありました。
神武天皇は「畝傍の橿原の宮にましまして、あめのした しろしめしき」という古事記にある橿原神宮を思い出します。


◆『古事記』の中巻は、神倭伊波礼毘古〔カムヤマトイワレヒコ〕・神武天皇の東征からはじまります。

熊野の高倉下〔たかくらじ〕が夢でみた「佐士布都〔さじふつ〕の神」という横刀〔たち〕や八咫烏〔やたがらす〕などの助けを受け、いろいろな困難にうちかち最後は「畝傍〔うねび〕の白檮原宮〔かしはらのみや〕に坐〔ま〕し坐〔ま〕して、天下〔あめのした〕治〔しろし〕めしき。」
・・・奈良の畝傍にある橿原神宮でマツリゴトをされたのです。

狭井河【さいがわ】の川上に住んでいた、山百合のように麗美なイスケヨリヒメ・・・あの「丹塗りの矢」の御話のホトタタライスケヨリヒメorヒメ・タタライスケヨリヒメと美和の大物主之命〔オオモノヌシノミコト〕との御子〔みこ〕ですが・・・と結婚したそうです。

 つぎの歌は伊須余理姫〔イスケヨリヒメ〕が宮内に参入〔まい〕れるときに、神武天皇が詠んだ御歌です。

 葦原〔あしはら〕の 醜〔しけこ〕き小屋〔こや〕に 菅〔すが〕畳〔だたみ〕
      いや清〔さや〕敷〔し〕きて 朕〔わ〕が二人〔ふたり〕寝〔ね〕し


然〔しか〕して生坐〔あれま〕せる御子〔みこ〕の御名〔みな〕は、日子八井命〔彦=ひこ・やいのみこと〕 次に神八井耳命〔かむやいみみのみこと〕、次に神沼河耳命〔かむぬかわみみのみこと〕。(三柱)
・・・ヒコ・ヤイノミコト、カムヤイミミノミコト、カムヌカワノミミノミコトという三つ柱の御子を生れたそうです。

 神武天皇をお祭りしている橿原神宮は雲にそびゆる高千穂の高嶺〔たかね〕おろしに草も木もなびきふした神さびた時代からあるのではなくて、明治22年【1889年】2月11日の憲法発布のときに創建されたものだそうです。

◆きょうは神武天皇祭にちなんで樫原神宮に紀藤元之介先生が参詣した帰り道、電車の網棚に置き忘れた風呂敷包みの失せ物占を掲載します:

  参って参るの記
      紀藤元之介

 『易学研究』二月号所載「神戸例会記事」(筆者岩井茂先生)の中に、私が橿原神宮へ参拝の帰途失物をした話をした、とあり、前に汽車の中で盗難に遭った話(『活断自在』所載)を知っておられる人は「またしくじったナ」と笑われることと思います。

どうもノリモノにはヨワイようで、困ったことです。失敗ばなしも一興とおぼし召して御笑読下さい。

 一月十日午後、無事参拝を済ませて、折柄降り出した雨の中を、順々に皆さんに帰って貰って、橿原駅に着いたときには、宮嶋御夫妻、高原御一家、有馬御一家、川本御一家の皆さんが待っていて下さって、田中久子女史、佐久間てい子女史とわが女房子供の十七人ほど、揃いました。電車を待つ間が長く、寒いので小生駅の売店から四合壜【お酒】を買ってきて、男どうしベンチで一ぱいやったのです。ヤレヤレという気のゆるみ、それがわざわいしたのです。電車に乗ったところ、坐席がバラバラになりました。網棚に風呂敷包みを上げて、ノンキにまわりの人たちと話合って、途中有馬、高原の両家が下車、アべノ駅へついたとき、一人はなれたところに坐っておられた田中女史を呼びにいき、前方ドアのところまで歩いて、残った皆さんと合流して降りたのです。そのとき網棚に置いた包みを忘れてしまったのです。都合で早く帰らなければといわれる宮嶋御夫妻と別れて、八人ほどで夕飯をたべることにしました。そのときもまだ忘れ物に気付きません。

 支那料理屋で、腹を充たして、立上ったとき「アツ」と思いました。「えらいことをした、あの風呂敷包み電車の中へ忘れてきてしまった」というと、皆びっくりして、ただ目をパチクリするばかり豚児のみが「お父ちゃんも謙に似てあわてモンなんだナ」と云っただけ。
 一足先に帰って下さい、これから駅へいって尋ねてみますから、と皆に別れて近鉄の駅に出かけました。ちょうど七時・・・いい年をしたオヤジが、どわすれしてあわてふためく姿は見られたものじゃない、とひとりグチリながら、山雷頤を立卦しました。七時が艮、たよりないオツサンの私が震というわけ(☶☳)。

 ☶
 ☳
山雷頤

 駅長室では、何時に着いた電車か、何号車か、何輌目かと訊かれるけれど、何にもわからない。紫色の風呂敷で、菊花の紋がついており、相州寒川神社と書いてある、中味は橿原神宮のお札と延寿盃と、『易経』と『日本書記』と入っている(あとできいたら佐久間さんの分も入っていた由)と云うと、前の電車だったら、もう引返してしまっているので、むずかしいですね、という。それじゃその電車はどこへいきました、と訊くと、高田までですという答。山雷頤で戻ってくるとは見たが、電話で照会してみて下さい、中の本には名が書いてあるからというと、ではといって直ぐ電話をかけてくれました。高田の駅では、いまついたところだから調べてみましょう、といって、電車の中をしらベ、あったと報らせてくれました。中味が中味だし・・・という点もあったけれど、アべノ発高田行の電車の中には、悪い人が乗っていなかったので、お蔭で助かったのです。明朝貰いにくると云って家へ戻ると、田中女史、佐久間女史が一緒に帰っていて、あった、あったというと、「運がいいびとですねえ」と、喜んでくれた。豚児曰く「神様のお蔭だよ」。
 参って参るの記、右の次第でした。
 
 ・・・・『易学研究』S35年3月号より・・・・


◆去年のきょうの日筮は火天大有六五でしたが、ことしは雷地豫の初六「鳴予。凶」です><;
象伝には「先王もって樂を作り徳を崇び、殷んに之を上帝に薦め、もって祖考に配す」とあります。
先王とは いにしえの善き天子=神武天皇です、上帝とは天にまします神、祖考とは亡くなった祖先のことです。「名誉じゃなくて、鳴くよ、凶」はチャンと祖先をおまつりしなさいよ、さもなくば・・・志窮まり凶、という意味でしょう。

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