2月23日は『富士山の日』です、「不尽」or「不二」?

きょうは『富士山の日』です。
2月23日の2ふ・2じ・3さんの語呂合わせからです。
この時期は富士山の姿がよく見えることもあるようです。
Niftyの「山の展望と地図のフォーラム」が平成8年【1996年】に制定したそうです。


先日、仁田丸久先生のこんな短歌に出会いました:

 「大富士は まこと神やま 低山を
     しりえに置きて 天そそり立つ」


先生が生れて初めて富士山を仰ぎ見たときの感動を詠んだ歌です。

◆仁田先生が書かれた『諏訪山房夜話』のなかの“不尽”と題するエッセイに載っているものです:


  諏訪山房夜話(141)

  “不尽”   仁田丸久


 『実占研究』や尚聖館の同人達から、初夏のみどりの中を「飛鳥路めぐり」なる思いがけぬ誘惑を受けました。年少の頃、万葉集の研究に打込んだ時期があっただけに、大和の国原は私にとっては心のメッカです。久々の巡礼行は楽しきかぎりです。
 万葉で想い出しましたが、まだ十代の頃ひとり上京した事がおりました。神戸駅から発った夜行列車で、翌朝のさんさんたる光りの中で車窓一杯にひろがって迫ってきた富士山のみずみずしさに思わず眼を鮮【あたら?】しくしました。当時は万葉調でなければ詩歌でないかの如く思っていたものですから、万葉ばりの一首をモノしました。

 「大富士は まこと神やま 低山を
     しりえに置きて 天そそり立つ」。


そしてこの歌をその頃の作歌のグループに示しましたところ、散々叩かれました。こんな観念的な、現実から離れた詠みは歌らしき範囲からもハミ出ている・・・と云ったう批判をされました。

 処で最近のこと、オランダから顧客が来日し、新阪急ホテルに投宿されたので面談に出向きました。ロビーから部屋へ電話しますと、すぐに降りてゆくから其処で待っていて呉れとの答えがあり、ロビーのソファーに腰を下ろし何気なく周囲を見廻しますと、一方側の壁一杯に万葉仮名で山部赤人の不尽(ふじ)山を詠んだ長歌が何処かの書道の大家の筆蹟で書かれていました。国際的なホテルの壁画に、ああでもない、こうでもないと案をねったあげく、結局日本流で代表とせられている富士山を、今では誰れも詠みがたい万葉仮名で白壁に黒文字で表わして却って逆効果を狙ったのだと思いまず。年少の頃の勉強はありがたい次第で、この万葉仮名がすらすらと読めました。この長歌を現代の文字に移すと次の通りになります。

天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 ふり放け見れば 渡る日の 影も隠るひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語りつぎ 言ひつぎ行かむ 富士の高嶺は


この長歌の反歌として、一般によく知られています

「田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪はふりける」


 がありまずから、この長歌や反歌の詠まれた位置は駿河蒲原から岩淵へ越える七難坂あたりだろうと考証されています。今の新幹線は未だ乗りま
せんが、旧東海道線の列車で東行すれば、蒲原駅を出てから左の窓側に気をつけていると、その突角についてカーブする車窓から望めた富士が赤人の詠んだ地位ではないかと思います。そうすれば年少の頃、私があとで歌仲間からつるしあげにされた短歌を詠んだ場処と位置を同じくしていたのではないかと思われてきました。

 処でこの有名な長歌に対して、その時は別段感興が湧いてきませんでした。ホテルと云う周囲の空気が天平の世界と相容れなかったと云うのではありません。理性の上ではこの歌こそ捉えるにはむつかしい雄大な富士山を集約して単純に表わしており、こまごましい描写がなく、荒けずりな線の太さがそのまま雄大な山容を浮彫りしていると受入れてはいました。感動を受けないのは、受入れ側の私の心の中に何か妨げるものがあるのだ・・・とまで考えてきたとき待っていた顧客がやってきたので、それ以上の考えはそのままにして打切りました。

 その夜、再びこの問題につき想いかえしました。富士百景を描いた北斉から、近くは特殊な朱の色で表現した梅原画伯や、最近では林武画伯もこの富士と組打ちをして新しい画材になりつつあります。しかし一般のわれわれ日本人は、富士山といへば橋本関雪先生によって完成された、霊峰とか秀麗と云う言葉によって代表されている神々しい、そして気品のある山容と決めてしまいます。関雪先生の作品そのものは非凡なものです。しかし一般の世界ではすでに型にはまって生気はつらつたるものを失ってしまっています。更にいけないのは富士すなわち秀麗なりとの方程式の中に安居してしまって、何時の程にか関雪ばりではない富士は異端なりとする考えに無意識にもおち入ってしまった事です。私にしろ一般の考えと同じくなりがちです。それから起ったのにちがいない白昼のホテルの無感動を反省しその要因を探っています内に想い浮べてきましたのは同じ万葉集の三巻にある高橋蟲麿の作とされています富士を詠んだ長歌の一節です。

 天雲も い行き憚り 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もて消〔け〕ち 降る雪を 火もて消ちつつ・・・


 すなわち万葉時代の富士は活火山でした。天空に火の柱を立てつづける富士を関雪描く秀峰なる額ぶちに入れてしまえば感動を殺してしまいます。

 我々の祖先は易を経典として受け入れ、この聖典は東洋哲学の深奥を伝へ、また道徳律を司る六法全書なりとしてきました。これは仰ぐも尊き麗姿扶桑の峰なりとして、六根清浄お山は晴天ざんげざんげとばかり先達なる易学者に、つづく道のりが唯一の山路なりとする想いを何時も表看板にしてきました。易なる文字が「気味わるきもの」なる爬虫類から出ている意味すらわすれてしまい、易は天子の学なりでマンネリズムにあぐらをかいてしまえば、あたかも火をふく山であった富士を忘れて、死火山すなわち秀麗なりとする類になってしまいます。占筮において啓示を受けるために必要な感動は、今とて炎々と燃え上る易の火を内に感じてこそ湧き上ります。
  ・・・『実占研究』S40年7月号に掲載・・・

 富士山を「不尽」or「不盡」と書くように、『易経』も尽きることのない活火山のような生き物として活用しないといけないという先生からアドバイスでしょうか^L^

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