紀藤先生の『易占の要諦』

きょうも 紀藤先生を偲んで 先生の『易占の要諦』という
講演の草稿の一部を掲載させていただきます。

先生が亡くなる6年前昭和50年 春の大会の講演草稿です:
・・・・
乾兌離震巽坎艮坤というのは八卦の名ですが、抽象的です。
これを天沢火雷風水山地という象にとってくると、手にふれることができなくても、
天とか雷とかも、ナールホドとなります。むかし、八卦をさまざまな象に見立てた
えらい人は、童児の眼を使ったか、自ら幼児の眼に返ったかして、
ごく素朴な見方をされたのではないかと、思います。
 
卦は古くして、象は日々に新しです。卦は抽象であり象は具象です。
だから象には親しみがもてます。

幼児が「これなーに?」「あれはなーに?」ときいて、ひとつひとつおぼえていくように、
具象的なものを追っていくと、易の画象ということがだんだんに納得できてきます。

もちろん、さいごの占断ということになりますと、知識も必要ですし高等な判断も
たいせつですから、15階の屋上から1階の易占・一年生まで降り、そのまた下の
地階の幼稚園に降りて、それっきりでいいというわけではなく、又、ぐっーと屋上まで
上がらなければなりませんが卦は画であると思い定めて、幼児の眼でまず見る。
そこからスタートする。象をとって、現実の事実と照合して、適切な接点を見出し、
象を読むことによって、事態の推移を察知する。これが私たちの易占ですから
「卦は八卦にすぎないけれど、万象に対応する」という信仰がなければ
成り立たないワザです。

信仰ということからいいますと、私は筮竹の一本を立てて、太極にかたどるというきめを
神道でいう「高木の神」、憑り代だと見ています。田の神のまつりに、榊などを立て、
そこへ神をお迎えするのと同じだと思っています。のこりの49本から出る数は、
ごく抽象的なもので、数そのものには象がありませんが、これを卦にうつしかえ、
そこに象を見てゆく、これが易占だと思っておりますから、
出すのではなく出てくる数、
自分で作る卦ではなく与えられる卦。
蓍卦は授けられるものという信仰をもっていますから、
問題に合った卦が出たかなぁ、などと疑問をもったりしません。
私のあたまは単細胞ですから、授けられた卦はそのまま受取るほかないと思います。
ただ、卦を象として見るとき、自分の能力、見方については、これでいいのかな、
この読み方で誤りはないかなといつも不安をおぼえます。うまく接点をとらえることができ、
正しく読めればいいのですが、それがむずかしいために、神経性胃炎になったりしてしまう。
易はむずかしいですねぇ。
・・・・

◇じつは、前段に石川勲先生の『早期漢字教育』のお話があるのです。
例の二、三歳の幼児に漢字を教える場合、「蟻」や「鳩」のように画数が多くて
むずかしそうな漢字でも、身近にある具体的な字はよくおぼえる。

しかし、「虫」とか「鳥」とか抽象化されたものはおぼえにくい、
まして「中」の字などはわづか四画の字ですが、おぼえにくい、
というお話です。

紀藤先生は:
――この幼児の眼ということが、
私たち、卦のうえに象を見出し、判じていく者にとって、たいせつなことだなぁ、
と思ったのです。








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この記事へのコメント

2009年11月22日 02:27
古本見つけてきました
紀藤先生の『易聖・高島嘉右衛門 乾坤一代男 人と思想』
読んでみたいとおもいます^。^  のんちゃん