『昭和の易聖』加藤大岳先生の言葉①易とはどういうものか? 

■易とはどういうものか?

その問いに対して、『奥秘傳書・易學通変』で
大岳先生は次のように答えています:
「易は、事物の表面に現れた一点を捉え、一点を中心として全般に亘り、
その現象の全一体を至極の客観に於て観察すると共に、
事象が内蔵する裏面の複雑なる経緯を系統立て、
由って来れる原因を明らかにして、
其の過去を探り、
現在と照合して
更に将来の進展変化
を察知すべく、
最も精緻なる理法を基礎として構成されて居る。」

■易占の特長について

加藤大岳先生は、
『易学發秘』のなかで
次のように説明しています。
 私は運命術の中で主として易占を専攻している。
それは易の判断は其の人次第であるといふ
・・・例へば我田引水の自分勝手な判断に陥ったりもする・・・
その判断の通変自在である處を尊んでである。
是迄の運命學が暗鬱なものであったのは、
例へば家相で云へば何處に便所があれば家人が死ぬとか、
人相で顔の何處に欠点があれば斯ういふ災難があるとか
いふ、さういふ判断が型に嵌ってゐて、

家の場合なら改築も出来るかも知れないが、
それが顔とか生年月日などであつたら、どうにも変へることが出来ない、
そういふ定められた運命だと諦めるより仕方がない・・・

古い運命學には、そういふ暗い處があった。

ところが易は、その欠点が一番少い。
一つ一つの事柄に応じて、自在な判断が出来る。
謂はば自力本願の占法なのである。

そこに私は新しい運命學の土台を置くのに適した点を認めた。
そして易の本当の機構を理解すれば、それは当然のことであり、
此の理解を以てする易占は必ず的中する筈であり、
運命開発の指導に最も役立て易い占術だと考へられる。

それから易の時代性であるが、易の機構は如何なる時代にも適応し、
古いとか不便だとかいふことを感ずることはないと私は考へる。

もつとも彖辞とか爻辞とかは別で、あれはあの辞の書かれた時代と現代では、
總てのことが違つてゐるので、あの辞を其儘占断に用いるのは全く愚かなことである。

然しそれに拘泥さへしなければ、
易は何時の時代にも私たちと共に生きてゐると思ふ。

■現代易の真価について

 現代易の真価、易の現代性について
加藤大岳先生は、『易学通変』の中で
次のように説明しています:
 先ず第一番に、この題目が如何にもバカらしい標題であることに、私は気がつきました。
 何故かというと 「生生之ヲ易ト謂フ」と繋辞上伝の第五章にも述べられていることは
前にも説明した通りでありますが、
[生生」というのは、生あるものを産んでゆくことであり、
また生れたものが生きて脈々たる生命のはたらきを営んでいることでもあります。

それを「易」というのであれば、易といえば現代易にぎまっていて、
ことさらに「現代易」などという必要はないわけであります。

 いつもは神棚に祀りこんでおいて、必要になるとおろしてきて、
「彖二曰ク」とか。「象ニ曰ク」とか云って、
勿体ぶって使うという風なものてあってはならないし、

また、昔作られたままに放って置いて、
すっかりカビの生えた古典としてしまってもならないし、

それらは「生生之ヲ易ト訓フ」ということからすれば、
もはや易とは言い得ないものであります。

 ここで引合いに出すのはどうかと思いますが、
永井金風という方は、近代の易学者としては有名な
人でありますから御存じでしょうが、
漢易を以て易経を釈いておられます。
そして、それ以外の解釈は誤りだとされているようでありますが、

しかし漢代に生命を有っていた漢易は、
決してそのまま現代に生きておらず、
その一部分は既に生命を失ってしまっておりますから、
易は漢易でなければならないと言うのは、
徒らに死物を生命あるものとして取扱わうとするもので、
賛成しかねるであります。

もう生命を失った部分は易ではなくて、
易といえば、
それは私たちのからだの中に脈々とした血の流れとなって
生ぎているものでなければなりません。

 しかし私たちの中に生きていると言っても、
それは私たちが新しく作り出して、今生れたものではなく、
幾千年も前から生々とした清新な生命か湛えて伝え伝えられたものが、
現代の空気か呼吸し、現代の養分を摂取して生存しているもので、

その伝え伝えられてきたという一面に於ては、
歴史の縦糸を見ることができるわけで、それが即ち易の「経」であります。

 「経」というのは縦糸のことで,長い時代を経て伝えられ、
生き永らえる不朽の真理であって、それが易の経なのですが、

歴史のそれぞれの時代に於て、
この縦糸と織り成した横糸というものが考えられるわけで、
これが易の一つの時代性であります。

 易の時代性は、縦糸に対して横糸になりますが、
即ちこれが「経」に対する「緯」であります。
従って易緯というものもあるわけで、
事実、漢代に於ける鄭康成の著作に『易緯乾鑿度』
という有名な易書かありますが、
もっとも、これは古伝の書の如くして、
実は鄭康成の作になる偽書なのでありますが、
これなどその書名も経に対する緯てあることを
示さうとしたものであります。

 さて、易の不朽の真理・・・これが易の縦糸で、
即ち易の経であると申しましたが、

治国平天下の道を示し脩身斉家の法を明らかにした聖典として
四書五経の首に置かれている『易経』(周易)が果して
易の経そのものかどうかは、
これはなかなか重大な課題であって、

卦象・彖・爻及び十翼伝がみな悉く易の経であるか、

それとも卦象と彖・爻だけが易の経で、
十翼伝は春秋時代の一つの易緯と見るか、

それとも亦、卦象だけが易の経で、
彖・爻の辞も周代の易緯と見るか
・・・
なかなか面白い問題でありますが、

それはともかくとして、
『易経』を有離く尊い経文として神棚に祀り込む前に、
私たちの生きている現代に、
易の経として脈々として伝えられている部分と、
単なる易緯として生命を失った部分と、

もし易の中にこの二つの部分かあるならば、
それを見抜くだけの識見を有つことも亦必要でありましよう。
 ・・・
こんな風に述べてぎているうちにも、
易といえばみな現代易であって、
現代に生きていないのはそれは易ではないなどと言いながらも、
それでもなお「現代易」と称ぶ名称があっても差支えないような気持ちが、
おぼろげながら生れて来ました。

その気持ちを突きつめてゆくところに、
現代易の性格と価値とを明確にする答案が出来てくるのでありますが、
本書に於て私が述べている種々なる解説なども、
畢竟するに現代易の樹立のための一つ一つの現れ
と言えば言えないこともないと思われます。

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