今日10月25日は、わが尊敬する加藤大岳先生のなくなった日です。

今日10月25日は、わが尊敬する加藤大岳先生のなくなった日です。
今日は大岳先生を偲んで、
先生が若くて元気一杯で
坎爲水の卦を『男児・本懐の卦』と見做している、
坎爲水の講義録です。
その文章を読んで先生を偲びたいと思います。

加藤先生は、
坎爲水の卦の彖辞について次のように説明しています:
 習坎。有孚。維心亨。行有尚。
 (習坎〔シュウカン〕。孚〔まこと〕有リ、維〔こ〕レ心亨ル。行キテ尚バルルアリ。)

 習坎というのは、彖傳で「重険ナリ」と云って居るように、
坎を二つ重ねたという意味で、習は重と意義相通ずるわけですし、

また この卦が坎を二つ重ねて居るように、
坎苦に坎苦が重なって居るというのが人生である
ということをも言外に含めております。

 或る人々は習を習練・教習の習に取って
「坎ヲ習フ」という風に訓んでいますが、
それでは甚だ狭義になりはせぬかと思われます。

それから又、真勢中州は、
この習は初六の爻辞が錯複して、
この首〔はじめ〕に来たので不用の文字だと言っていますが、
本来ここは「習炊ナルモ孚アレバ……」と読む可きで、
単なる坎でなく、水の洊〔しき〕りに至る意で、
習はどうしてもここに無ければならぬ字です。

 炊は二陰の間を一陽が貫いてゐるのを、
人にすれば孚だと云いましたが、艱難苦労の中に在っても
自分の信ずるところを変えない。
さういふ風であるならば、必ずその一心は通ずるものである。

けれども誠孚が通ずるといふのは、
必ずしも利益や報酬が齎〔もた〕らされるわけでけなく、
孚が塞〔ふさが〕れずに通ずること以外に何を求めようとするのでもない。

それを表はすために特に「維〔こ〕レ」の一字を挿入してゐるわけで、
維は「ひとすぢに」といふ意味と「唯に」という意昧と両方を含んでいます。

然し このように中心にある孚は、
うちに蔵〔しま〕ってけばよいというだけのものではなく、
必ず通じる時があり、また自ら進んで通じさせねばなりません。

即ち その孚を行いの上に現はして通達の功を奏し、
坎険に打克つのもまた、自らの誠心に忠実を致す所以である、
というのが彖辞の意味であります。

【占例】『加藤先生 一身の進退を筮す』

加藤先生がご自身の仕事上の進退について
筮して、坎の節に之くを得ました:

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――    ――
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――    ――
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坎爲水→水沢節  
 
私がお手伝いしていた仕事も一段落となったので、
しばらく休養したい希望から、お手伝いの仕事をお終いにして、
自由の体になりたいということを申出ますと、
「それは困る」との返事なので、
「別に困るといふほどのこともないではありませんか」
と機会あるごとに切出して見たところ、
どうしても出ないで欲しいと言って希望を容れて貰えないのです。

 で右すべきか左すべきかを筮に質〔ただ〕してみる氣になり、
得たのが此の坎の節に之く(初爻変)占だったのです。

 爻辞を見ますと「習炊 坎窞〔カンタン〕二人ル」とあって、
穴の底に陥込むといふ意味。
変ずると節となって、進むを節して身を控へ、穴に深入りせぬ方がよい
ということになります。
苦節十年などという言葉もありますが、
節の本来の意味は進むを制して止まることにあるので、
ここでも、与えられようとする地位とか名誉とかへの期待・欲望などを節止して、
身を控へ退いた方がよいと判断したのであります。

 けれども先方を応爻と見て察しますと、
「樽酒簋貳〔キジ〕缶ヲ開ク」で、
急速には此方の話を通じさせて呉れる見込みがない。

それも仕方がない、といって何時になったら埒が明くか?
ぞれを爻の位置を逐って、之卦を順生してゆくと、二爻変は比となり、
比は水が水として働きをする所として解することが出来ます。

それで来年は完全に罷めることも出来ると思って、
初志を狂げすに申出たところ、早急に罷められては困るが、
名前たけは当分貸しておいて欲しいとのことで、
それをまで強ってと断るわけにはゆかないところから、
名義だけは仕事の手伝いしていることにして、
実際は休養生活に入りました。

 一年ほどの間、さういふ時代があり、
従ってその間のことば名前は連ねてゐても、
私は実際には何も携ってゐなかったのですが、
一年の後に、うまい機会がやってきて、
名前も問題なく返して戴き、当方の思ひ通りに行ったのですが、
その後の状勢など考え合せると
自分の事を占って割合に巧く行った方の占であると我乍ら感心することもあるのです。

「孚アリテ維レ心亨ル」 
この卦を、苦難嫌厭の卦とせす「男児の本懐の卦」として
辛苦経営に任ずべき雄々しき卦であるといふやうなことを言ひ出したのは
私が最初なのですが、然しそれは二五の剛中の爻を得た場合で、
その他の爻の場合は退き守ることを念とすべきであらうと思ひます。


最後の先生の忠告を守らないと、
いくら『坎は男児の本懐の卦だ』といっても
大変なことになりそうですね(*^L^*)

上の文章は
加藤大岳先生の『易学大講座』第一巻
坎爲水の章から引用させて戴きました。
一部仮名使いを改めました。 

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